街中に一角に横浜開港の歴史を感じる。
旧居留地90番地の大砲② / / / .
横浜市中区薩摩町ビル街の一角に江戸時代の大砲が保存展示されています。
ペリーが来航した折、幕府の命により横浜警護に当たったのが松代藩と小倉藩でした。
松代藩の軍議役であった象山先生が横浜海防に必ず必要だとして装備した和蘭式野戦砲です。
以前この地に建っていた倉庫を新築する際、基礎工事中に地中から3砲が発掘されたものであり、そのうちの一つを現在のビル所有者に引き継がれています。
一つは「神奈川県立歴史博物館」、もう一つは「開港記念館」の前・開港記念広場にあります。
しかし、他の2砲の説明書きでは少し違いがあり、【外国人居留地90番地(現山下町90番地)に、生糸の輸出と時計の輸入に従事していたスイスの商社、シーベル・ブレンワルト商会(慶応元年(1865)年創立)があり、明治維新の際の戊辰戦争中は武器の輸入も行っていました。
昭和34年、同社跡地で建物の基礎工事中に大砲が見つかり、掘り出され、展示されておりましたが、平成15(2003)年、横浜市に寄贈されました。
この大砲は、鋳鉄製の11ポンドカノン砲で、オランダ東印度会社のエンクハイゼン商館所属船の備砲です。
使わなくなった大砲を錨に作り変え、横浜に出入りする船に売買するために持っていたものが、大正12(1923)年の関東大震災の時に、地中に埋まってしまっていたのではないかと推察されます。
明治43年に出版された書籍に、同社の「倉庫の入口に、明治初年に武器を扱っていた記念として大砲が備え付けられた」という記載があります。
明治初期の外国人居留地の外国商館と、取扱商品並びに輸入先がわかる遺品として、貴重な資料です。
】となっています。
2砲の説明は近いのでこちらの方の説明書きが正しいのかと思います。
横浜市中区山下町のマンションの前に展示されている大砲。
ペリーが再度来日した際、横浜の警備を命じられた松代藩の佐久間象山が用意した大砲の一つでしたが、断腸の思いでこの地に埋めることなったとのことです。
歩道のわきに突如設置されています。
管理者が倉庫会社から引き取った3門の大砲のうちのひとつです。
倉庫会社の口伝によるとペリー来国時の交渉において幕府を警護するために製造されたものだそうです。
検証されたかどうかは不明です。
いずれにせよ立派な大砲に見えます。
名前 |
旧居留地90番地の大砲② |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
045-671-3284 |
住所 |
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評価 |
3.4 |
この大砲は旧居留地90番地(現在の神奈川県横浜市中区山下町90番地)から昭和34年に出土した。
他の場所にも設置されている。