安土桃山時代の茶室で実は重要文化財指定です。
全然目立ちませんので見逃しがちですが、安土桃山時代の茶室で実は重要文化財指定です。
お見逃しなく。
結構目立たないところにありますので、うっかりすると間違いなく通り過ぎますよ。
安土桃山時代の建設の茶室で、戦国時代最強武将の1人の織田信長の弟で、織田有楽斎(本名、織田長益)作の茶室です。
織田有楽斎は茶の湯や茶道具に、骨董等の古美術に造形が深い人物と知られていますが、実は武将としても優秀で当時戦国最強武将の1人で武田信玄(本名・晴信)への甲州征伐に従軍し鳥居峠を攻略しています。
また、森長可と森忠正ともに、上野国(こうずけのくに)に出兵した際は、小幡氏を降伏させています。
本能寺の変後は佐々成政と滝川一益と豊臣秀吉との仲介役でありまた、豊臣秀吉と徳川家康との仲介しています。
関ヶ原の戦いでは、たったの450な将兵だったにも関わらず、石田三成軍を撃退し、戸田重政と戸田内記親子と蒲生理郷等の西軍有力武将を撃破していったようです。
この功績で、徳川家康から大和(奈良県)に32000石を拝領しました。
その後、32000石を3人の息子にそれぞれに分け与え、自分はひたすら趣味の世界にのめり込みます。
また織田有楽斎は、東京都千代田区にある有楽町という地名は、この織田有楽斎から来ています。
一面に銀杏が散り敷き見事でした。
素晴らしい。
首都圏在住ならば一見の価値以上のものがある。
自分は茶の湯と茶室が大好きなので、行ったことが無いのに、この場所に書き込んで申し訳ないと思いますが、あえて書き込みました。
この小さな三畳台目の茶室は、慶長年間、当時、宇治の辺りのお寺の書院であった、今も同じく三渓園に存在する月華殿の縁側に、織田有楽が好んで建てたという茶室で、元々は、九窓庵と呼ばれていたそうです。
やがて近代になり、そのお寺は、例の茶室付き書院建築を維持できなくなり、後、原三渓に、買い取られ、その際、九窓亭は月華殿と切り離されて、原三渓の自宅、白雲邸に接続された。
三溪は、茶友達と、九窓亭で茶事を楽しんだ事だろう。
さて、その九窓亭が何時、春草盧と席名を変えたのか?
信長の弟で茶人の織田有楽斎の作。
向かって左側がオリジナルの部分で重要文化財。
シーズンの土日は茶会がある。
丘を降りた平坦な所にある建物。
辺りは明るい雑木林、梅の花が咲き、ネコがゆったり歩き都会には無い景色です。
重要文化財の古い立派な茶室。
内部を見るには10000円くらい。
グループで割り勘して予約を。
英語可。
素敵な所です🎵
三渓園の中にある建造物の一つです。
素晴らしい建物だと‼
紅葉時期、黄金色の絨毯に包まれる建物。
名前 |
春草廬 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
とてもひっそりと佇んでいます。
しかし国指定重要文化財なので価値があるみたいです。
茶室。