春の桜は素晴らしいので檀家でなくても足をお運びくだ...
曹洞宗のお寺で臥龍山神太寺雲松院といいます。
御本尊は虚空像菩薩になります。
伝承では龍神伝説が伝わります、当時寺の境内地には大きな池があり龍蛇が棲んでいたといわれ僧是順哮がこれを捕らえて池を埋めて寺をここに移転した。
ところが第五世玄宗頓の時に再度龍蛇が出現したため和尚は偈(げ)を授けたところ再び小蛇となり捕らえて市ヶ谷長龍寺へ贈ったという言い伝えがあります。
寺は小机城主の笠原越前守信為公(法名乾徳寺雲松道慶)が父親の笠原信隆と主君の北条早雲の菩提を弔うため開基となり季雲永岳(大永六年:1526年寂)を開山に迎えて神太寺村に創建したという、第二世天叟順哮の時に当地へ移転したと伝えられます。
慶長四年(1599年)に徳川幕府より寺領二十石の御朱印状を拝領したといいます。
俳優の内野聖陽さんの、ご実家のお寺。
彼はお坊さんにはならず、スターとなりましたが…。
春の桜は素晴らしいので檀家でなくても足をお運びください。
由緒正しいお寺さんです。
小机城城代の笠原氏創建の寺院。
本堂や山門は見応えあり。
小机城城代の笠原家のお墓があります。
市民広場に整備された小机城址を歩いたあと、城代のお墓を見に行く!というパターンですね。
梅雨も明けたので、行って来ました。
緑がとてもきれいでした。
こじんまりとしたお寺ですが、きれいに整えられており、狭さを感じません。
鐘もあります。
池もあります。
今にも咲きそうな蓮の花がありました。
大都市横浜の外れに、ひっそりと、あるそんなお寺でした。
駐車場があるのがいいですね。
本堂の天井から下がる装飾が素晴らしい。
後北条氏の重臣で、小机城代を務めた笠原信為が開基となった曹洞宗のお寺。
小机駅前の横浜上麻生道路からのびる参道の先に立派な山門があり、山門をくぐった先の境内は静かで落ち着いた感じで、とても良い雰囲気でした。
内野聖陽の実家。
早稲田大学政治学部で、国際的なジャーナリストを目指していて試しに英語劇を演じてみると全然話せない。
そして文学座に入る事になった。
うんしょういん。
1521_小机城主の笠原さんが、神奈川区神大寺に「神大寺(臥龍山雲松院)」を建てる。
火事で焼失し、現在地に移転。
本堂/山門/笠原家のお墓が、横浜市の有形文化財。
駐車場が数台しか停められません❗
小机駅から程近いところにあるフォトジニックな寺院。
池に咲く蓮の花が綺麗。
散歩で立ち寄りました。
立派な山門が目を引きます。
笠原越前守信為(法名乾徳寺雲松道慶)が開基。
関東管領山内上杉家の土豪矢野兵庫助の居城といわれている小机城は、文明10年(1478)に扇谷上杉家の家宰太田道灌に破られてから廃城となってたが、大永4年(1524)頃、小田原北条氏の勢力圏に入り、南武蔵の軍事上や、経済上の重要起点として修築され、重臣笠原越前守信為を城代とした。
俳優内野 聖陽さんのご実家。
笠原越前守信為(法名乾徳寺雲松道慶)が開基。
関東管領山内上杉家の土豪矢野兵庫助の居城といわれている小机城は、文明10年(1478)に扇谷上杉家の家宰太田道灌に破られてから廃城となってたが、大永4年(1524)頃、小田原北条氏の勢力圏に入り、南武蔵の軍事上や、経済上の重要起点として修築され、重臣笠原越前守信為を城代とした。
俳優内野 聖陽さんのご実家。
名前 |
雲松院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
045-473-3515 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
夏の施餓鬼で行きました。