丘の上に社があります。
生きた時代が300年も違う稲毛三郎と豊臣秀吉の同じ内容の伝承が残っている。
江戸時代の白蛇伝説も然り。
長い年月を得て混合したのだろうか。
ともかく、昔はこの崖下に多摩川の流路があり多摩川を渡るための要所だったことを想像させてくれる史跡である。
お守りいただいてます。
松寿弁財天(綱下げ松)数々の伝説がある「綱下げ松」の神社。
文政5年(1822)6月12日、大雨で多摩川大洪水となり、宿河原村の家や畑は流されてしまう。
崖下に流された村人は、松の木から降りてきた白い反物にすがって丘の上へ避難できた。
しかし欲深い人が白い反物を持ち逃げしようとしたところ白い蛇に変化した。
その後、助かった村人達は松の木の下に弁天様(白蛇様)を祭った。
江戸時代には名所となり大いに賑わうが、近隣百姓が田畑を潰して参詣客目当ての茶店や芝居小屋を建て、風紀が乱れたため取り締まりとなり一旦終息。
明治期には参詣すると良い仕事が入るというウワサが流れ、再び評判になった。
賽銭泥棒が多いと看板に書いてあった。
久地駅側の丘の下に鳥居が、上に向かう階段の途中に湧水(御霊泉)が、丘の上に社があります。
白蛇様がいる!この辺の歴史が書かれてる。
こぢんまりしてる。
落ち着く。
いつも散歩道 何気なく参拝してたけど、小さくても歴史 歴史ある場所でした。
その昔、津田山の山腹に老松があった。
稲毛三郎重成、豊臣秀吉らの武将がこの松に綱をかけて戦陣を進めたことから「綱下げ松」とその名前がついたとか。
この松には白蛇の伝承があり、松の下に松寿弁財天の祠をたてたが、これが霊験あらたかと評判になり、天保の頃、たくさんの参詣人で賑わったという。
(蛇は弁財天のお使いとされている) (参照:川崎市多摩区見どころガイドより)
名前 |
松壽弁財天 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
〒214-0021 神奈川県川崎市多摩区宿河原6丁目47−28 |
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
綺麗に整備されています。