2023/02/12整備工事中でした。
2023/02/12整備工事中でした。
すばらしい史跡公園になることを期待し、いったん★4とします。
バス停は中原街道沿いにありますが、かなりきつい坂を登ることになるため、少し注意です。
周辺は高低差の大きな丘陵地の上にあり、道幅も狭いものが多く、遺跡の周りに駐車場を確認出来ませんでした。現在は未整備のため、ただの空き地のようで、説明板も詳しくなく、遺跡全体の地図や建物跡などの配置図もありませんでした。専門的なものはいりませんので、中学生が分かるようなレベルで看板くらいは立てた方が良いと思われます。
国指定❗史跡橘樹官衙遺跡群たちばな古代の丘緑地武蔵国橘樹郡のお役所跡。
7世紀中葉〜9世紀中葉。
川崎市初の国史跡指定、たちばなかんがいせきぐん高台に位置し近くからは都心方向の視界も開ける。
(1)指定告示r名称:橘樹官衙遺跡群r指定基準:「特別史跡名勝天然記念物及び史跡名勝天然記念物指定基準」r史跡の部二(都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡)r官報告示:2015年3月10日付け 文部科学省告示第38号r(2)指定説明文とその範囲r説明:標高約40mの多摩丘陵の頂部に立地する武蔵国橘樹郡家(郡衙)正倉跡と考えられる千r年伊勢山台遺跡と、評の役所の施設の可能性のある掘立柱建物跡等も検出された郡寺跡である影向r寺跡からなる。
千年伊勢山台遺跡では、評の役所の成立直前から郡家正倉廃絶に至る4時期のr変遷が確認された。
遺跡は7世紀後半に大壁建物が造られることを契機に、7世紀後半から8世r紀には、規則性をもって配置された総柱建物4棟と側柱建物6棟が造られ、8世紀前半には、建r物の主軸をほぼ真北にそろえる少なくとも13棟の総柱建物が造られる。
これらの建物は9世紀中r頃には廃絶しており、評と郡の正倉の構造の違いや、本格的な郡家正倉へ整えられていく様子がrうかがえる。
郡寺は7世紀後半から8世紀前半に創建され、8世紀中頃には塔の造営と金堂のr改修が行われ、10世紀初頭まで補修が行われていたことが確認されている。
出土瓦等から、南武r蔵の中心的な寺院であったと考えられる。
r地方官衙の成立から廃絶に至るまでの経過をたどることができる希有な遺跡であり、その成立rの背景や構造の変化の過程が判明する等、7世紀から10世紀の官衙の実態とその推移を知る上でr重要である。
r 川崎市高津区千年字伊勢山台r川崎市宮前区野川字東耕地橘樹官衙遺跡群の概要r橘樹官衙遺跡群及びその周辺については、1990年代に入って以降、住宅建設等の開発事業がr数多く行われてきたことから、川崎市教育委員会がその度に埋蔵文化財の取扱いを行ってきた。
rその中1996年に実施された開発事業に伴う事前の発掘調査「千年伊勢山台北遺跡」rにおいて、整然と東西に並ぶ総柱建物が発見され、この建物群が古代橘樹郡の役所跡である橘樹r郡家(郡衙)の倉庫群であることが判明した。
rこの発見を契機に1997年度に地元の千年町会が橘樹郡家の正倉群が所在する国r有地に歴史公園を設置するよう要望する陳情を川崎市議会に提出し、翌年度に趣旨採択された。
r川崎市教育委員会はそれを受け1998年度から2004年度まで橘樹r郡衙推定地確認調査事業を実施して遺跡の内容及び価値の把握に努めた。
そして2004年度には確認調査事業の調査成果をまとめた『武蔵国橘樹郡衙推定地 千年伊勢山台遺跡-第r1~8次発掘調査報告書-』を刊行し、遺跡の価値を広く周知するとともに、2006年度に、橘樹郡家跡の一部である国有地 1,645㎡を買収等行い、2008年度に「たrちばな古代の丘緑地」として市民に供用を開始した。
r2011年度に「たちばな古代の丘緑地」に隣接する農地で共同住宅の建設が計r画され、正倉群等の郡家関連遺構を現状保存することが困難になったことから、2012年度に本市として、①橘樹郡衙は全国的にも貴重な歴史文化遺産であり、後世まで継承する遺跡rとして位置づけ、保存・整備・活用を進める、②橘樹郡衙の中核部分を重点保護エリアに設定し、r地権者からの同意を得る等、国史跡の指定を目指した取組を進める、③国史跡指定後は、国庫補r助等を活用しながら保存・整備を進め、地域の協力を得ながら積極的な活用を図る、という3点rを橘樹郡衙跡保存活用の基本的な考え方として政策決定した。
その決定を受け同年度に川崎市r土地開発公社によって当該農地 1,288㎡を先行取得し、橘樹郡家跡を国指定史跡として保存・活r用していく取組を進めた。
rこうした中、文化庁からは西側に隣接する影向寺遺跡は橘樹郡家跡との密接な関係性が伺えrる遺跡であるとともに、過去の調査成果から遺跡の価値づけも概ね可能であることから、両遺跡rを合わせて国史跡指定を目指した方が良いとの指導・助言を受けた。
そこで本市は橘樹郡家跡rと影向寺遺跡を橘樹官衙遺跡群として国史跡の指定を目指すことにし、土地所有者等への説明、r土地所有者・土地権利者からの同意書取得、川崎市教育委員会からの史跡指定申請書提出、文化r審議会文化財分科会の審議・議決を経て、2014年11月21日に国史跡指定の答申をr受けた。
2015年3月10日の官報告示により、橘樹官衙遺跡群は本市初の国r史跡に指定された。
r「橘樹たちばな」は古代の地方行政単位の1rつである橘樹郡を指している。
橘樹の名の初見は『日本書紀』安閑天皇元年条、6世紀前r半の記事に載る朝廷に献上された屯倉4ヶ所の1つとしての「橘花」屯倉である。
713年和銅r6年に出された勅により、地名は2字の好字を用いて表記することになった際「橘」rに「樹」を加えて「橘樹郡」とし、そのまま「たちばな」と呼んだ可能性が高いと推測してrいる。
この橘樹郡は現在の川崎市とほぼ同じ領域を有していたと考えられる。
武蔵国には22郡が置かれた。
多摩郡荏原郡豊嶋郡足立郡葛飾郡新羅郡(新座郡)児玉郡秩父郡大里郡入間郡賀美郡横見郡埼玉郡高麗郡比企郡男衾郡幡羅郡榛沢郡那珂郡久良岐郡都筑郡★橘樹郡★
名前 |
橘樹官衙遺跡群 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
044-200-3305 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
2023年3月は現在工事中ですですが、桜は満開です。
遺跡群の再現せれる観たいです どんな風になるのか楽しみですが、今は工事中です!。