城を壊した痕跡を見ることができます。
121号から路地へ入り細い橋を渡り発電施設を通り過ぎた先に駐車場が有ります。
二河川の合流地点にあり、河川に削られ崖となり天然の要害のようです。
昔は駐車場の先の地点に橋がかかり大手だった模様です。
Ⅰ、Ⅱ曲輪が広大で、Ⅰ郭の東に上部の発電施設が有ります。
ⅠⅡ曲輪の間に土塁空堀があり、北方に升形虎口が有ります。
根元のみ石組が残ります。
ⅡⅢ曲輪の間にも土塁、暗渠が通る空堀があります。
土橋を渡りⅢ曲輪の外側にも深い堀切があります。
Ⅲ曲輪の南方に祠のある見晴台があり、城域南側の断崖が確認できます。
標高311m、比高約30mの国史跡🏯説明板🪧、駐車場🅿️、縄張図🗺️、飲料水🥤まで用意されてた👍️😆大手道を登ると枡形虎口♬広い曲輪を進むとまた枡形虎口♬石垣♬が残ってる仕切り土塁?♪付きの堀♪に土塁♪がドンと構えられてるのが主郭ラシイ背後土塁♪に堀♪はデッカイ🙌残し土橋♪を越えると塚のある曲輪物見台に上がると堀の深さが判る👍️北側には竪堀♪がいくつか見えた帯郭も残ってるなどなどなど タップリ遺構が残ってて見ごたえあるトコでした👌地形図アプリでも背後の堀切がハッキリ見えた 😮スゴッ
なかなか険しいですが歩きごたえあって楽しいです。
保存会?の人たちに感激します入り口においてあるストックは使ったほうが良いです(笑)
ゴールデンウィークに城攻めしました。
駐車場は奥の空き地のような場所です、本丸までは散策気分で本丸跡まで登れます。
説明書きもあり興味のある方には時間を忘れるほどです。
駐車場から本丸跡まで散策、往復1時間ほどです。
伊達家代々の城ですが、公園として整備されてなく、集落内の細い道を通った突き当たりにある発電所の舗装されていない、空き地に駐車しなければなりません。
クチコミを見る限りでは一応、山城として散策路は整備はされてはいるみたいですが、自分が訪れた時は閉鎖されていて、入る事はできませんでした。
歴史マニアの方でなければ、お薦めしかねますね😅。
登り口を間違えて、散々な目に合った。
下調べをしとけばよかった(笑)遺構は、堀切がよく残っており、枡形虎口も見られるが、石積みは、上杉時代のものらしい。
近年、伊達政宗生誕の地として、注目を浴びつつある。
国指定史跡。
平成28年に国史跡に登録された山城です。
舘山城保存会などが主体となって整備されているようで、入口には給水所のサービスや杖の貸出、資料の配布などを行っていました。
要所要所に立て看板が設置されて詳しく解説されています。
ただ、私は初めて上った山城がこの舘山城だったのですが、山城初心者や一切の知識がないという場合は、少しほかの山城で場数を踏んでから来た方が楽しめるかなと思いました。
個人的には福島の向羽黒山城が最も山城の構造がわかりやすかったので、そのあたりを体験してから行くことをおすすめします。
また、米沢は雪国ですので冬季は身長ほどの高さのある解説板が全て埋まるほど雪が積もります。
訪れる時期には注意してください。
写真撮影月 平成30年3月、6月、10月。
フィールドワークの好きな方、遺跡の見学をしたい方はどうぞ。
生きた社会科は自分の足で情報を稼ぐものですよ!
冬季時に行くべからず。
伊達政宗は現在の米沢城ではなく、この館山城で誕生したという話がありますが、真実は歴史の中ですね。
土塁、堀切が豊富に残っていて、素晴らしいです。
石垣ともに、見どころ満載です。
ゆっくり時間をかけて歩いて土塁の高さを実感するのがいいと思います。
最近、歴史的評価が上がり見直されている場所です、夏の夕涼みに良いかも😁
なかなかな遺構です。
枡形の石垣最高です。
破城の跡か築城をやめたのか?研究が進んで真実が分かると面白いですね。
伊達晴宗が桑折西山城から米沢に本拠を移した際の居城。
その後、伊達輝宗、伊達政宗と伊達氏3代にわたる居城となったようです。
城を壊した痕跡を見ることができます。
また城の防御施設もとても規模が大きいです。
地元の方々の熱意もすごく、城を廻るためにストックが用意されているのには驚きましたが、しっかり活用させていただきました❗
まだ整備されてないので一般向きではありません。
男鹿の交通の要所で 安東愛季(ちかすえ)の居城であった脇本城跡を訪れた。
国指定史跡に指定され、発掘・復原・整備されている。
カメラを手に、国道沿いの駐車場から城山をのぼり 遺構を撮りながら隣接する菅原神社を詣でた。
また、太平山・森吉山・遠くは鳥海山を一望した。
城を造るうえでのここの地形が面白い。
東西に伸びる海岸線で 断崖絶壁となる小高い山の上に造った。
現在もこの海岸線を通る国道は ここだけ城の山に隧道(トンネル)を通している。
海岸線は険しいためそのまま陸路では通れないからだ。
よって昔は城内の敷地を馬や人を通した。
曲輪(くるわ)を作り人馬を休ませ 関を設けたのであろう。
東の秋田市内の土崎港もはっきり見え、日本海を横行する船はすぐにここからは発見される。
海の方向に全く遮るものはない。
城のすぐ近くに港を設け、海運の業を一気に引き受けたのであろう。
高台でありながら井戸の遺構があり、城横の天然堀は小川となって水が流れていた。
水は確保できている。
城内を通る道を「天下道」と呼ばれ、活気を感じさせられた。
「天下道」がそのまま散策道になっていて、中腹に菅原神社がある。
この神社には、「細葉の椿」が植えられていて、これはヤブツバキの一種で葉が細く、4月中旬頃からピンク色の花弁をつける。
樹齢400年以上と推定される古木だ。
ここはツバキの北限の地でもある。
北国の秋田は寒くなれば葉を落とす木々が多い夏緑樹林帯であり、西日本に多い葉が肉厚で冬枯れをしない照葉樹林はここでは少ない。
歴史を見れば 脇本城跡は、戦国大名 安東氏の一族安東愛季が安土桃山時代の天正5年(1577年)に大規模な修復を行った居城だ。
その規模は現在の地図で見ると、生鼻崎から本明寺の上の馬乗り場を経て、脇本第一小学校上の兜ヶ崎まで 総面積約150ha 東北最大級であろう。
江戸時代の紀行家の菅江真澄(すがえますみ)が歩いた道を少し追うことができた。
彼の繊細で感性豊かなものの見方に驚き 敬意を払う。
城址巡りの楽しさは遺構を探し見ること。
多数の曲輪(くるわ)・土塁(どるい)・空堀(からぼり)・井戸跡などの他、虎口(こぐち)と呼ばれる城の入口部などの見て 写真を撮る そして案内板もじっくり見て 思いをよせる事であろう。
整備が不充分なので興味の無い方にはお薦めできません。
しかし,戦国,山城好きにはたまらない遺構です。
長年,伊達氏の居城が米沢城(現在の上杉神社)ということに疑問を持っていたのですが,この地であれば合点がいきます。
りんごの産地でもあり,時期になると周囲には直売の看板がでます。
市内のナガオカという御菓子屋さんの「舘山りんご」というお菓子も美味しくて可愛らしいのでおすすめです。
天文十七年(1548年)、伊達晴宗が福島県桑折西山城から米沢に拠点を移した際の主城と考えられているのが館山城です。
以降、伊達氏は輝宗、政宗と続き、秀吉による岩出山転封まで米沢で過ごしました。
城は大樽川と小樽川に挟まれた丘陵部に築かれた山城で、後の岩出山城や仙台城にも通じる、伊達氏山城の原点となったものと考えられています。
遺存状況は良好で、発掘調査から様々なものが検出されています。
また、駐車場も広く確保されているので、車で気軽に訪れることができます。
綺麗に整備した館山城を早く見たい!!
どうやら西暦1567年に伊達政宗が生まれたのは、この館山城らしい。
最近の研究結果による。
舘山城跡 個人の私有地、太っ腹であります!
名前 |
舘山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
たてやま城。
伊達晴宗が桑折西山城から舘山城に拠点を移し、輝宗後、政宗が岩手山城に移るまでの主城。
3つの曲輪、主郭、馬出、西曲輪から構成される。
堀切、土塁、桝形、虎口、物見台など見どころ満載。
各所に説明板あり。
国指定史跡。