入口に立派な石造の鳥居があります。
入口に立派な石造の鳥居があります。
境内はそれほど広くはありませんが、よく掃除されており塵一つ落ちていません。
正面に比較的新しい社殿、その左に小ぶりな鳥居と境内社が祀ってあります。
狛犬は近年奉納されたようです。
境内の両脇は民家になっていますがとても静かな場所です。
境内には青面金剛の彫られた庚申塔(年代不明)や文久三年(1863年)の刻銘のある浄水鉢があります。
またこの神社は、向拝(屋根の中央が前に張り出した部分)に龍の彫り物があり、大和市の十龍巡りの第八の龍に指定されています。
しかしながら図書館で探しても詳しい資料は見つかりませんでした。
ただ大和市役所のホームページに掲載されている、昭和55 年7 月28 日 に大和市役所で収録された「市内の神社」と言う座談会において、諏訪神社総代の浜田賢氏が司会の山崎忠義氏の諏訪神社についての質問に答える中で「・・・それで山谷に第六天、これはつきみ野にありましたが、これは北島次郎さんの土地へ移して山谷持になっている。
山谷に祀ってあり山谷持になっています。
」と答えています。
この北島次郎氏は社殿正面に掲げられている「敬神」紀元二千六百年と記された扁額にある北島忠七氏の親族の方ではないでしょうか。
紀元(皇紀)2600年は昭和15年(1940年)であり神武天皇即位から2600年目に当たるとされ、国を挙げて祝賀行事が行われ橿原神宮をはじめ全国の多くの神社で整備が行われた年です。
おそらく、この山谷の第六天神社もこの年に整備されたことと思われます。
なお、天保12年(1841年)に幕府の昌平坂学問所により刊行された新編相模國風土記稿の高座郡渋谷庄下鶴間村の項に「住吉社コレモ公所ノ鎮守ナリ。
末社第六天」の記載があります。
この第六天が山谷の第六天の前身であるなら少なくとも180年ほどの歴史があると言えます。
また、住吉社は現在公所の鶴間橋近くの浅間神社の境内末社として合祀されています。
ところで第六天神についてはいろいろ興味深いことがありますが、あまり長くなるので差し控え、一つだけ。
第六天とは仏教経典によると、神々や天人等の世界である天のうち、天魔が棲むとされる世界で、その世界の支配者が第六天魔王です。
第六天魔王は、仏教修行を妨げる魔王とされており、元々は古代インド神話に出てくる神と言うことです。
魔王を祀るのも不思議なようですが、古来日本人は、人々に災いをなす神(霊)を丁寧に祀ってその災厄から逃れ、さらに、その強力なパワーによりご利益を得ようとしてきました。
例えば神田明神に平将門公を祀ったように。
ただ、現在の祭神は「おもだるのみこと・かしこねのみこと」の両神ですが、これは明治維新により、それまでの神仏習合が廃され,廃仏毀釈運動により仏教系統の第六天魔王を廃し、神道系統の、日本神話で天地開闢の時、国造りした神のうち、6番目に現れたご両神に変えたのです。
神様にも有為転変があり時代に翻弄されるのは人間と同じだと思うと急に親しみを覚えてしまいました。
神殿の前で手を合わせ静かに佇んでいるとこの国の歴史と人々の暮らしについて語りかけてくれる気がしました。
名前 |
第六天神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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いつか行ってみたい場所。