ご縁で辿り着きました。
駐車は神社の境内に数台止めることができます。
トイレは分りませんでした。
2月25日、本殿近くの梅が綺麗に咲いてました。
夜遅くに気持ちを整えられる神社を探し、ご縁で辿り着きました。
本殿にお賽銭を入れようとすると、センサーで雅な音楽が流れましたが、夜中の参拝時だったので全身が一瞬凍り付いてしまいました。
ともあれ、出迎えて頂いている良い雰囲気の中、新年の誓いを静かに行うことができました。
良い神社だと思います。
昼間に参拝した時、お守りの豊富さに驚きました。
思わず笑ってしまうお守りもあります。
依存症封じもあればギャンブル必勝お守りもあります。
この二つと、借金・貧乏封じお守り全てを購入すれば程よいギャンブルができるかも(笑)。
ITお守りがこれからの僕の業務にマッチします。
延喜式神名帳の和泉國大鳥郡の項に記載のある式内社。
また同郡の項に記載のある大歳神社を明治42年に合祀している。
JR阪和線の富木(とのき)駅の東改札から徒歩15分ぐらい。
この等乃伎という社名の「伎」は「木」のこと。
古事記の仁徳天皇の条に「此之御世、免寸(とのき)河之西、有一高樹。
其樹之影、當旦日者、逮淡道嶋、當夕日者、越高安山」という記載がある。
これによると、とのき川の西に一本の高い木があって、その木の影は朝日が当たると淡路島に及び、夕日に当たると高安山を越えたという。
この記載は実際、冬至と夏至の日の太陽の動きと一致している。
当社から見た夏至の太陽は高安山から昇り、当社に巨木があれば、その影は淡路島の由良湊神社(式内社)の方向を向く。
一方、冬至の太陽は由良湊神社に落ち、当社に巨木があれば、その影は高安山の方向を向く。
等乃伎神社は古事記の記載から巨木信仰から生まれた神社とされるが、その本質は日知り(暦を知らせる)神だろう。
以前、大和の鏡作坐天照御魂神社と石見鏡作神社も太陽の運行にしたがって配置されている。
この両社の配置は立春・立秋の太陽の運行にしたがって配置されたと考えられるが、そもそも立春や立秋は推古天皇の御代に中国から導入された中国暦に基づくもので、それより前は夏至と冬至が重要視されていた。
立春や立秋の中国暦が導入されたため、夏至と冬至の太陽の運行にしたがって配置されていた石見の鏡作神社が八尾に遷座した可能性も指摘されているが、等乃伎神社の配置は夏至と冬至の太陽運行に従うもので、推古天皇以前の、古代日本の暦に従ったものといえる。
当社の現在の御祭神は天児屋根命となっているが、本来は巨木による日知りの聖地。
また、宮を建てたのは752年ともいわれているが、上記の理由から推古天皇(593-628)以前の古社であると思う。
境内にはたくさんの木が植えられており、茂って陰になるようなところにはやぶ蚊がたくさんいるので注意が必要です。
キティちゃんお守り、かわいいです。
とても静かで歴史を感じる神社だと思います。
近くのいくつかの交差点に「よそでは手に入りにくい御守」と書いた立て看板が立てられていて以前から気になっていました。
たしかに、ありとあらゆる種類やデザインのお守りが販売されているようでサンプルがぶら下げられていました。
けれどそこに人はいなくてケータイの番号が書かれており、電話をすれば売って下さるようです。
なかにはキャラクターのデザインのものもいくつかあって、メーカーとのコラボなのか著作権について了承を取っておられるのか、これを維持するのは大変だろうなぁと思います。
もちろん、氏神様としての地域に根差した神社なのだと思いますが、ちょっと変わったお守りをと思う方は楽しいと思います。
2020年2月。
日部神社から大鳥北浜神社に向かう途中で、看板があり興味が湧いて参拝しました。
あいにく、ご祈祷中らしくて御朱印をお願いできませんでしたが、広い境内と各種お守り等、魅力ある神社だと思います。
住宅街の中にあるのに何だか異空間みたいな感じ。
町の中の神社なのにとても静か。
思ってたより参拝する人もいて。
他の神社にはない御守とかあって😅キティちゃんとか鬼太郎とか見たことの無いものがたくさんあったけど1番気になったのはだんじり付き御守。
でもフツーの御守を購入。
等乃伎神社この辺は今でいう船大工にたずさわる人々が住んどいたようです。
古事記によるとこの御世にウキ河の西の方に高い樹がありました。
その樹の影は、朝日に當れば淡路島に到り、夕日に當れば河内の高安山を越えました。
そこで仁徳天皇は、この樹を切つて船に作りましたところ、非常に早く行く船でした。
その船の名はカラノといいました。
仁徳天皇はその船で淡路島に湧く美味しい水を運ばせていたとも古事記に書かれている。
等乃伎神社とのきじんじゃt大阪府高石市取石2丁目14-48主祭神t天児屋根命式内社続日本紀には中臣殿来連の名があり中臣氏の祖神天児屋根命が主祭神となっている江戸時代には殿来神社(とのきじんじゃ)と書かれていた等乃伎をトキと読み太陽祭祀の場であったとの別の説もあり(水谷慶一氏)実際古事記には太陽祭祀に関連したような巨大な高木の伝承あり魅力的な説である。
地域のだんじり集合場所小さなお宮さんですが、お守りの種類はめちゃ多い訪日客に受けるかも。
年始に行くと、おしることお神酒がいただけます!年々人が増えてる印象です。
超ご近所ですが元旦の深夜の初詣にだけ訪れてます(*‘ω‘ *)
木々にかこまれたいい雰囲気の神社でした。
でも、本殿の正面に関係者の車が何台もあったのがめざわりで、興ざめしました。
さすが、都会の神社ですね。
住宅地の中にありますが、境内は木々に囲まれて落ち着いた雰囲気です。
拝殿の前に立つと音楽が流れてきました。
親しみやすい神社ですね。
神主さんが、横柄でした。
御朱印も、印刷で日付さえ書いてもらえなかった。
変わり種のおみくじいっぱい ちょっと楽しくなります。
小さな村の鎮守の神様です。
かなり古い歴史が有りそうです。
遠くから参拝してる人もいます。
神職さんはお忙しい方のようで、神社におられない時間もあるようです。
御朱印は印刷でした。
由緒のある古い神社です。
名前 |
等乃伎(とのぎ)神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
072-271-0553 |
住所 |
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関連サイト |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai10shibu/takaishi-city/10033tonogijinja.html |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

神社の境内に忠魂碑がありました。
やはり神社では、英霊の方々を神様としておられます。