新年初めてのお詣りに行って来ました。
平成21年(2009)の不審火により再建されたため、社殿や境内はまだまだ真新しい雰囲気ですが、茅葺きの頃の写真を見ると、こちらも延喜式内高部屋神社の強力な論社であるというのも十分頷ける程の風格です。
現在は付近を東名高速が走り開かれた印象がありますが、隣の道了尊の奥宮からこちらの方面を望むと、山林の中に厳かに佇んでいたであろう往時の姿を偲ぶことができます。
ウォーキングコースの一つで、新年初めてのお詣りに行って来ました🙏
愛甲石田駅から徒歩30分程離れた場所にあります。
結構歩きます御朱印は電話でお願いすると神職さんが駆け寄り対応してくれましたとても、キレイな神社さんです。
朝もはよから、神殿開いてる途中に児童館あり。
静かな雰囲気で穏やかな気持ちになれます特徴として賽銭箱の上に鈴がなく、鐘楼で鐘をつくような形になります年始はお祓いもできますし、綺麗です。
選挙戦のお礼参りへ向かいました。
雨の中でしたが、大変雰囲気が良い神社でした。
水稲文化を広めた加茂族の首長、味須岐高彦根命を祀る神社。
数年前に不審火で社殿が全焼してしまって、建て替えられた(小さな山の上に建っている)新しい神社です。
別の方のコメントに「駐車場がある」とありますが、駐車場はありませんのでご注意ください。
近くのコンビニの駐車場を使わせて貰うか、路駐するしか…。
社務所に記載のあった連絡先にお電話したところ、10分ほどで宮司様にお越しいただき丁寧に御朱印を書いていただきました。
表参道入口の、社名の彫られた石碑の裏に高部屋神社の名前があり、論社とされているので二社セットでお参りしました。
静かなとこにある立派な神社です。
早朝、2ヶ所を走り回る宮司に会える。
仕事で通過しただけです。
相模国式内社、高部屋神社の論社。
社殿は近年に建てられたもの。
高森神社は、明治初年までは高部屋神社とも称されましたが、棟木に高部屋神社と書いてあることと、鳥居脇の石碑にもそのように刻まれていることなどの物証もあります。
明治初年、神仏分離令のおり、神社名を高森神社と改称されたと伝えられています。
延喜式にある高部屋神社は、おそらくこの社のことを指しているものと思われます。
(伊勢原市ウェブサイトより)
神社の入り口がちょっと分かりにくいです。
御朱印は紙に書いたものが置いてあります。
旧郷社としては規模が小さい神社ですが、それなりに整備されています。
ただ、手水舎が残念な印象でした。
だれも参拝の方はいませんでしたが、きれいな境内と新しい社でとても静謐な感じを受けました。
ここも、高部屋神社の論社のようですね。
社務所に誰もいなかったですが、手入れされた、とても気持ちのいい神社でした。
駐車場もあり、おすすめ出来る神社でした。
名前 |
高森神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0463-93-8208 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
風土記にあるが、江戸の頃は 八幡神社 であったようだ。
ここには史料がないが、明治の頃にでも改称したのだろう。
祀られている神も特徴的で、“味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)“ を祀っている。
そのゆえんは解らないとある。
神仏分離のときにとりのこした神も今も尚、併祀されている。
________________❷【参考 伊勢原町勢誌 1963年】北高森の八幡神社だけは祭神が “応神天皇“ ではなく、“味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)“ である。
大国主命の子で国津神であるが、祀られるいわれは残っていない。
併祀されている “多聞天” “歓喜天” は神仏分離の時のとりのこしであると云われている。
“多聞天” は羅刹、悪鬼神である。
夜叉(猛悪な鬼神)を統率する神で、“毘沙門天”という。
“歓喜天” 密教の神である。
_________________❶【参考 新編相模風土記稿 1830年】八幡宮 江戸時代の書におけるこの神社の紹介文北高森の鎮守である。
多門歓喜2天を合殿とする。
神楽殿がある。
[鐘楼] 元禄9年(1696年)の鐘をかけている。
[末社] 疱瘡神[例祭日] 8月6日[管理] 村民。