写真の通り田んぼと畑しかありません。
すばらしい城址です。
高台の学校側から見ると、眼下に城跡の碑が見える。
私が城主なら、学校側に城を作る。
川が堀となり眼下の橋を落とすと、小田原方面からの城攻めは不可となる。
愛甲、伊勢原地区の味方を城内に入れ籠城策とする。
しかし籠城戦と見せかけ、弘法山の高台に陣取る。
桜土手古墳あたりの川を溢れさせ、湿地帯に敵軍を誘い込み、松田城河村城の友軍と示し合わせ、はさみうちにして敵軍を殲滅します。
城を壊し学校を作った。
小牧長久手戦に於いて、豊臣方の最前線基地、楽田城全部壊し校舎を作る、校庭の片隅に説明板一枚。
山形県の寒河江城しかり、富山県の魚津城しかり、生徒さん達が少なくなり廃校となる。
お城を元通りにもどして~~
駐車場は有りませんが少しの時間でしたら路上駐車出来るスペースが有ります(自己責任になりますが)畑の畦道を散歩しながら少し行くと波多野城跡の石碑が有ります、ちょっとしたベンチが設置されているので、そこに座って丹沢の山々を眺めると気持ち良いかと思います、都会の喧騒を忘れられました、訪問した日は城跡の石碑の所から素敵な富士山が見えました(霞んでましたが😹)また、時間有りましたら波多野城跡の近くに、田原ふるさと公園が有ります、この公園の地は東田原中丸遺跡であり、縄文・古墳時代及び中・近世の複合遺跡として知られている。
平成12年の発掘調査では、古墳時代の集落跡や鎌倉時代の武士の館跡と考えられる遺構が発見された。
また、鎌倉でよく使われていた「かわらけ」という皿の形をした13世紀前半の土器も数多く出土した。
この付近を本拠地としていた「波多野氏」の館跡ではないかと注目されています、公園内の施設では、お蕎麦屋さんが有ります、また野菜等を販売していますよ!無料駐車場とトイレ有ります☺
写真の通り田んぼと畑しかありません。
石碑がポツンと置いてあります。
わざわざ行くのはおすすめしません。
散歩がてら少し行ってみるというのはありかもしれません。
秦野市にある平安時代末から鎌倉時代にかけて活躍した波多野氏の城址。
鎌倉の鶴岡八幡宮で暗殺された源実朝の首級を手に入れた武常晴は、波多野忠綱を頼り、 ここ秦野の地に来て実朝の首を埋葬したと伝わっています。
2015/11/21に伊勢原市文化財協会の主催で「秦野市内の寺院と仏像めぐり」で蓑毛の大日堂を見てから、波多野城址に向かった。
蓑毛~中丸橋まで神奈川中央交通のバスで移動して、中丸橋バス停で下車。
バス停から脇道を秦野市立東中学校を目指し歩いて、中ほどが目的地「波多野城址」の入口に立て札がある。
この標識を入り、ヘアピンになったガードレールのついた坂を下りながら、畑の中の道を行くと大きな槙の木が植わった小さな石碑の「波多野城址」に着く。
波多野氏は、藤原秀郷五代の後胤(こういん)藤原公光(ふじわらのきんみつ)の二男経範(公俊)が相模守として下向以来波多野に土着して武士となり、前九年の役に源頼義に従って戦死したが、その子経秀に至ってこの地の地名をとって波多野氏を称したという。
波多野氏については、諸説あるが平安末期より鎌倉時代にかけて200年この地を根拠として源平、北条、足利の各名流と離合集散しつつ、戦乱の巷に馳駆した豪族であったことは確かである。
名前 |
波多野城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.4 |
畑の中に石碑があります。
茂みの中には遺構があるのだろうか…?