道路沿いに、外門曲輪の石垣が有ります。
天正18年(1590年)、箱根西麓に在った小田原北条氏の防衛の拠点『山中城』を半日で攻略した豊臣秀吉は、一路小田原へ軍を進め、湯本の早雲寺に本陣を構えました。
本格的な攻城戦が始まると、指揮を執るには小田原城から遠く戦の状況を的確に見ることが出来ない事から、小田原城を一望の下に見渡す事が出来る石垣山(当時は、笠懸山と呼ばれていました。
)へ、新たな本陣を造る事にしました。
6月27日までの約2ケ月半の間に、城郭の主要部分を完成させ、小田原城側の樹木を一斉に伐採しました。
これを見た北条方は【一夜の内に城が出来た!】と驚きました。
この事から【太閤の一夜城】と呼ばれるようになりました。
《嘘か本当か?》一説では、突貫工事で造った城は、小田原城側から見える部分に白紙を貼り付けた【ハリボテ】だったと・・・・・派手好きで目立ちたがり屋と云われている豊臣秀吉らしと・・・
2回目の訪問。
駐車場が綺麗になりましたね🎵400年以上も前に、よくこれだけの巨石を機械も無いのに、山に揚げたもんだね。
当時の関係者方々に敬意を評します。
関東の連れションは此処ですよね‼️
豊臣秀吉が天下統一の総仕上げ、小田原城の北条攻めの為だけに築いた城です!ここに本陣を置いて築城(陣城)しました。
いわゆる石垣山一夜城と呼ばれる城郭です。
東日本では土塁による城造りが普通で、石垣による近世城郭が初めて現れました。
ここ笠懸山に石垣となる岩が多くあった事も幸いし、3ヶ月掛からず!に完成させました。
豊臣秀吉の力をまざまざと見せつけたと思います。
それ故、籠城している北条方は、絶望感で覆われていたでしょう?初めての訪問ですが、北条滅亡後に破却された城なので、正直あまり期待していませんでした。
しかし、駐車場から既に見えている石垣にテンション爆上がり!全体的に良く整備され、保存状態も最善?な形の印象です。
案内図を見ていたら、羽柴秀吉時代に築城された姫路城の小型版の様な雰囲気の印象を持ちました。
もしそうなら、やはり石垣山城も黒田官兵衛が関わっていた可能性が高そうです?本丸や各曲輪の石垣は、関東大震災の際に大きなダメージを受け、大半が崩れてしまったそうですが、井戸曲輪については良い状態で残ったので、1番のポイントになっています。
また近くの展望台からは、秀吉もここから見ていたであろう小田原城が見渡せます。
続100名城に選出された事に納得の城郭です!スタンプは、駐車場トイレの所に設置されています。
2022年に訪問。
土日祝日は駅から観光向けのコミュニティバスが出ています。
(小田原駅、早川駅)今回はJR早川駅から徒歩で向かいました。
途中から思った以上に勾配のある坂道になりましたが、結果約30分程度で到着。
(徒歩に自信ない方はもう少し時間的に余裕を持った方が良いかと思います。
)現地にはトイレや自販機、ファーム、広めの駐車場などがあります。
(100城スタンプはトイレ前にあります)石垣が見栄えする状態で保管されており、施設説明の看板などもあります。
また、小田原漁港を望む景観を楽しむ事ができます✨戻りはやはり徒歩で移動しましたが、行きの半分程度の時間でした🚶u200d♂️
豊臣秀吉が小田原城は簡単には落城できないと判断し、わざと小田原城から見える高台に一夜で城を築いたように見せ威嚇し、小田原北条氏の降伏を引き出したとか。
見事な石垣城址を巡りながら、当時の駆け引きの妙を想像しながら歴史を感じることができます。
もはや皆さんご存知、秀吉が小田原城攻めの際に築いた城です。
名前の通り一夜にして築かれたと思われる方もいるようですが、石垣がふんだんに使われており、往時は天守も備えていたとされ、とても一夜で築けるものではありません(^^;一部、関東大震災で崩れた石垣もありますが全体的に非常に見どころが多くお勧めの城です。
すごい土木量だと思いました。
井戸曲輪の石垣は谷をせき止めるように積み上げられており、全体の大きさが見たことがない大きさです。
必見です。
他の場所も石垣の高さに圧倒されます。
これだけのものを突貫工事で完成させたのはさすが秀吉です。
石垣山城は麓からは比高が約200メートルで、なだらかな坂が続きます。
これだけの坂を走って攻め上がるにほ息が続かないです。
一方、石垣山城からは小田原城を見下ろすことができます。
立地もバッチリだと思いました。
10数年前に初めて来た時には車停めるところが見当たらず狭い道路にお城に興味ない家族に残ってもらって城を駆け足でまわりました。
今回来たら道路左側には広い駐車場、お城側の右側にも第一、第二駐車場があり、安心してお城散策出来ますね。
城内も歩道、案内板や展望台などだいぶ整備されてました。
左側の駐車場には結構車駐車していて喫茶や売店目的の方もいそうです。
平日なのに城内散策している人も何組もみられ、犬連れも居て、喫茶の前後の散歩など歴史好きでなくても散策しやすい場所になった感じか。
途中の道路にも陣を置いた武将を紹介する看板や道を示す看板がありました。
多少道良くなったのかもしれませんが、途中地元のやまに「さ」のマークの家の軽トラに警笛鳴らされ追い抜かされたり、あまり道に良い印象なし。
東国における最初の総石垣の城で、全国に織豊系城郭が広まったキッカケとなった城の一つ。
戦争の為の山城で、かつ石垣というのは全国的に珍しいと思う。
中世から近世という過渡期に作られたからこそこういう形になったんだろうなぁ。
一番の見どころは間違いなく井戸曲輪でしょう。
同じ名前の郭を持つ城は他にもありますが、凹状の郭が丸々井戸なんて他では見た事がありせん。
小田原駅から、ハイキングとして、小田原城を経由して、徒歩1時間と少しで、早川口から軽い坂道を登って着きました。
急いで積んだと感じられる大規模な石垣から、一夜城の雰囲気と大きさを味わえます。
景色がとても良い城です。
写真のように小田原城も小さく見下ろせます。
また、箱根の山々もすぐ近くに迫っています。
途中の道から見える丹沢の山々や下山中に近づいてくる小田原市街の眺めも素晴らしい。
美味しいパンやケーキのヨロイヅカファームに立ち寄るのもおすすめです。
小田原城攻めに豊臣秀吉が築いた城が石垣山一夜城です。
遺構として残る石垣の規模や石の大きさ・深い井戸などは長期戦を想定していた事が伺え、さすがに関東に覇を唱えた小田原北条氏もこれでは負けざるを得なかったな…と納得できる規模でした。
後年の一国一城令や徳川時代も特に使用されていないので、崩れている石垣もありますが、それも時間の流れが感じられるとともに、今でも栄える小田原の町や再建が進む小田原城を見るにつけ、最終的に勝ったのは小田原城なのだ、と関東人としては心を慰められました。
華やかな場所ではありませんが、歴史を学ぶ者としては、小田原観光の時には一度は訪れておきたいスポットであります。
小田急線箱根板橋駅、JR早川駅から3km弱の舗装された山道(農道?)をハイキングするコースとしてお薦めです。
石垣山から小田原城下や相模湾、箱根の山々が見渡せるのでとても気持ちが良いです。
循環バスもあるので疲れたら帰りはバスもあり。
一夜城ファームというレストラン、ケーキ、パン、地の野菜などを売っているところもあります。
トイレも心配ありません。
昔はこんな灯りも無かったんだろうな、などと想いを馳せて、夜の一夜城跡。
明るい時とうってかわり、静寂が佇む。
酒を飲んでないが、自分に酔う景色かもしれない。
石垣山一夜城跡本丸跡から小田原城天守閣を望む。
秀吉が、家康を誘って2人で小田原城を見下ろしながら連れションし、家康に江戸に移封することを提案する逸話を思い出しながら、この風景を楽しみました。
以前ブラタモリで小田原特集「小田原 〜江戸の原点は小田原にあり〜」でも出てきた一夜城です。
難攻不落の小田原城を奇策で落とした豊臣秀吉の功績を確かめに行きました。
なるほど石垣のような石積みが残されていて好きな人にはたまらないものを感じさせてくれます。
我が北条軍の怨敵、秀吉が小田原攻めの拠点に短期間で作った城です館は残っていないが最奥の井戸周りの石垣などは当時の石垣プロ集団穴太衆が作った状態がキレイに残っているのでちょっと降りて見て下さい案内板も多数ありますが登城口の駐車場のトイレ前でパンフレットを手に入れてから攻め落としましょうそれにしても短期間で作ったらしいのでやはり豊臣の財力は凄かったのでしょうね攻め落とした後はすぐ下の「生命の星、地球博物館」が安いしオススメ。
急坂ですが徒歩で上ると、よく短期間でこれほどの石を運んで城郭を建設できたものだと感心します。
道なりには小田原攻めに参戦した武将の紹介立て札があり楽しめます。
城址は公園としてよく整備されていてピクニックにも最適です。
石垣山一夜城、豊臣秀吉が30万の大軍で小田原城を取り囲んだ小田原合戦の際、秀吉が陣を置いたのが石垣山、その石垣山にたった80日で築いたのが石垣山城。
小田原城の天守の登ると石垣山が本当に良く見える。
築城中は木々に隠れて石垣の城が見えないが、その木々を一斉に取り払うと一夜のうちに石垣の城か現れる。
これが石垣山一夜城である。
それまで幾度の敵を押し返した難攻不落の小田原城であっても、石垣でできた一夜城が現れたならば、籠城の北条氏政、氏直親子もこれ以上の籠城をもっても秀吉に勝利することは困難であると悟り、開城やむ無しとし、小田原城は開城されたのである。
石垣山城駐車場に車を置き、登城口から整備された道を登って行くと城跡公園になっていて、本丸には5分ぐらいで着く。
この日も親子がお弁当を広げていた。
それにしても驚いたのは石垣が多く残っていたこである。
石積が崩れているところもあるが、きちっと石積が残っていることに驚いた。
石垣山に登り小田原の町を眺めると、小田原城の天守が良く見える。
この光景を秀吉が見ていたんだと思うと感慨深いものがあった。
2019年石垣山城は続100名城に選定された。
戦国好きの方は小田原城と石垣山城はセットで訪れることをお奨めする。
また、駐車場の反対側には「一夜城ヨロイヅカファーム」がある。
こちらもお奨めです。
天下人となった豊臣秀吉が約30万からなる軍勢で北条氏政、氏直親子が統治する小田原城を攻める際に笠懸山(石垣山)に築いた陣城。
約3ヶ月を掛けて高さ20メートルを超える高石垣を備えた立派な城を築きあげた。
それまで空堀、土塁を中心とした土の城しかなかった関東に突然高石垣の城ができ、また直前まで森で隠しておいて突然木を切り倒して小田原城から見えるようにしたことから、小田原方からすれば一夜にして城が出現したように感じられ、「石垣山一夜城」の異名を持つ。
城としての役割を終えてからは城割りによって石垣を崩したため石垣はほとんど原型を残していないものの、二の丸から見る本丸曲輪の石垣は圧巻である。
小田原攻めをした秀吉によって作られた石垣城晴天の日には小田原城郭から相模湾が一望できるとても気持ちのよいところです関東大震災以降石垣が酷く崩れたらしいのですが綺麗に残っている箇所もあり見物です途中、みかん畑もあり帰りにお土産として買っていきました。
秀吉の一夜城、早川から立ち上がる山の上にあります。
ここからの眺望は素晴らしく小田原城天守閣をはじめ、小田原市街・相模湾・三浦半島が見渡せます。
城跡には石垣と本丸跡・天守台跡、二の丸跡、馬場曲輪跡、西曲輪跡、南曲輪跡などが残っています。
井戸曲輪と展望台には工事のためいけませんでした。
続100名城 No.126 石垣山城スタンプ設置場所:一夜城駐車場内トイレ付近豊臣秀吉が築かせた「一夜城」長期戦を想定した本格的な構えの陣城。
一夜城から小田原城とその城下、相模湾の彼方には三浦半島や房総半島の山並みも見られます。
天気のいい日は絶景です。
名前 |
石垣山城 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/public-i/park/ishigaki-p.html |
評価 |
4.3 |
続日本100名城No.126です。
秀吉が小田原攻めに際して、わずか80日で築かせた歴史的舞台です。
完成後、周りの木を切らせて突如出現したように見えたため一夜城として知られています。
井戸曲輪他の石垣に見どころが多いです。
100名城スタンプは、駐車場トイレ脇で押しました。