高麗山山上にある高麗権現社の別当であった。
2024.7高来神社(たかくじんじゃ)高麗神社(こまじんじゃ)とも呼ばれる。
旧社格は郷社。
高麗山の麓にあり、ハイカーの方も多く訪れます。
【御祭神】神皇産霊尊(かんみむすびのみこと)天津彦穂迩迩伎尊(あまつひこほのににぎのみこと)応神天皇、神功皇后【由緒】起源は明らかでないが、神武天皇の時代の創建と伝えられる。
かつては高麗山の山頂に上宮があって高麗権現社といい、右の峰に白山権現を、左の峰に毘沙門天を勧請して「高麗三社権現」と称した。
高句麗が新羅・唐連合軍に滅ばされた時に、その王族・若光を中心に高麗人が相模国大磯に渡来し、その後若光一族を含めた各地の高麗人は武蔵国高麗郡(こまぐん)に集められ、高麗神社も設立したという。
高来神社の例大祭「御船祭」の木遣歌「権現丸」に、「高麗国守護」が渡来して、「大磯浦の守護」となったとある。
また古来武門の信仰が篤く、鎌倉期に将軍源頼朝が正室北条政子の安産祈願をして、戦国時代には後北条氏がわずかな領地を寄進したという文献があるという。
明治元年(1868年)、神仏分離令により高麗寺から分離され高麗神社となり、高麗寺は廃寺となる。
明治30年(1897年)に、高来神社と改称。
【参拝用駐車場】あり。
湘南の静かな神社湘南平の麓にある神社で高麗神社とも言われていて湘南平のサイキングコースの入り口にもなります。
高来神社は元は天台宗鶏足山雲上院高麗寺といい、高麗山山上にある高麗権現社の別当であった。
明治の神仏分離にて高麗権現社を高麗寺の本堂へ移し、高麗神社と称したといいます。
そう言われて見れば社殿は本堂の様に見えますし、参道もなだらかな坂道で、どこか寺院風ですね。
※ハイキングコースは滑落注意神社の裏手に湘南平まで続く登山口があり、男坂と女坂があります。
男坂はやや急で岩場があり滑りやすく、普通のスニーカーで来た場合、注意したほうが良いです。
女坂は水が滲み出していてぬかるんでます。
帰り道は女坂が安全だと思います。
趣のある神社でした。
裏手が高麗山なので、神社の境内にも大きな木がいくつもありました。
前々から通る度にお参りしようと思っていた神社でした。
大磯の鎮守様で、由緒ある神社です。
静観な趣のある、厳かな雰囲気がありました。
裏山は高麗山があり、男坂と女坂のハイキングコースがあって、辿って上に行くと奥宮があるみたいで、また来た時は是非とも登って手を合わせたいと思います。
以前は植木市などお祭りが催されてましたが、最近はやっているのでしょうか⁉️近くに湧水の社があり湧き出ています。
大磯町と平塚市にまたがって広がる、湘南平、浅間山、高麗山の山地。
高麗山の麓にあるのが、「高来(たかく)神社」です。
かつては高麗寺の寺内社だったのが、高麗寺が徳川幕府の保護を受けていた事の反動で、明治初めの廃仏毀釈の折りに寺は廃され、高来神社単独で残ったらしいです。
「高麗」の名の由来は、七世紀頃、高麗若光という渡来人一行が、大磯に上陸し、しばらく滞在した事に由来。
高麗若光らはその後北上して、最後は埼玉県日高市付近に定住したそうで、日高市にも高麗山、高麗神社があるそうです。
低い山ですが、なかなかワイルドなハイキングルートがあり、日帰りにうってつけ。
湘南平からの展望はとても良いらしいですが、私が行った時は曇りで富士山は見えませんでした。
高麗山の麓にある神社。
奥に登山道があります。
湘南平〜高来神社の登山コースを体験しました。
夏祭りが近いのか御神輿が出て、神社を参拝しました。
境内に大磯町指定天然記念物のシイニッケイと言われる古木がありました。
スタジイの古木にヤブニッケイが根付き生長した結果一体化したそうです。
よく見ないとわからないほど見事でした。
御朱印を頂きに御参りしましたが、社務局もありませんでした、奥まった場所にあり、素敵な神社です。
埼玉県日高市の高麗神社を参拝し、隣接する高麗家住宅を見学した。
2日後に高崎市民公園からの写真をラインしたら、大磯駅を通過する際に見える泡垂山との返信があった。
スマホで調べていると高麗山の表記があり訪ねることにした。
高句麗からの渡来人は、初めは大磯の高麗山の麓に住み、その後に現在の日高市高麗川の地に移り住んだとのことで、朝鮮半島北部から転々と流れ着いた人々のことに思いを馳せながらの参拝となった。
境内の裏手に高麗山への登山口があるためお参りしてから登りました。
日光東照宮と関係があるため大名行列は必ず馬から降りて参拝したとか。
徳川家康の神影である東照宮が併せ祀られ、寺領100石、山林を賜り、諸大名は参勤交代の折に馬を下りて参詣した神社です、静かな境内でゆったりと時を過ごすのには良い場所です!
格式高く月に一度は来るようにしています。
右奥の小道を下がっていくと湧き水がある。
水神様、龍神様が祭ってある。
国道から少し入っただけでこんな幽玄な場所に辿り着くことができる。
高麗山の麓にある神社。
神社名はもともと「高麗神社」であったが1897年(明治30年)に改称された。
創建はあきらかではないが、6世紀まで遡るという説もある。
668年に高句麗が滅亡した際、王族であった高麗若光らがこの地に渡来したと言われる。
神社の旧名および地名はそれにちなむ。
高麗寺・高麗神社をあわせて神仏習合の「高麗権現」として信仰され、また江戸期には「東照大権現(徳川家康)」も祀られ幕府による庇護を受けた。
明治維新期の神仏分離令に伴う廃仏毀釈により高麗寺は廃寺され、観音堂を下社とした。
1897年(明治30年)に社名を高来神社と改称、今に至る。
静かな感じの神社です。
ここは、たかく神社と言うのでしょうか?高麗から来た通信士が居住していた場所だった高麗(こま)。
読み方としては こうらい だと思います。
正しくは こうらい神社ではないでしょうか?現在の社会科では高麗は こりょ と、百済はぺくちゅ、新羅は しるらと、読むと思います。
因みに、今、話題の武漢はウーハン。
日本だけが音読み。
世界では通用しないかも。
静かで厳かな神社です。
この裏から高麗山に登ることができます。
【激ウマおでん配ってました】初詣行きました。
人が多くて1時間位並んだかな。
な、なんと無料で甘酒とおでん配っててビックリ!しかも地元の野菜?沢山と、玉子も入ってて更にビックリ!!もっと賽銭入れてくれば良かったと後悔。
大満足な初詣でした。
ここはまさにパワースポットです。
神社のなかなかだけでなく、敷地外の坂道も、磁場があります。
敷地の奥から高麗山のハイキングコースに行ける道があります。
どこか高尾山を思い起こさせます。
歴史を感じさせる、とても趣のある造作のお社です。
宮司のかたもとても感じ良かったです。
伝統と格式のある神社です。
山神輿や節分祭といった古の行事の他、境内で開催される多彩なイベントも楽しみです。
高麗山の麓にある歴史ある静かな神社です。
参拝時はちょうど竹明かりを皆さんで作成中のようでした。
お忙しい所でしたが、御朱印をいただきました。
大磯駅方面から徒歩でスマホ等のナビを使用して行かれる場合は神社の鳥居を指定しないと民家の裏から行くはめになるのでご注意を。
小さな手作りの看板があるので神社には出ることは出来ます。
神社の奥には高麗山から湘南平までハイキングが出来るコースの入口があります。
高麗山の山頂付近には高来神社が元々あった場所があり小さな祠が鎮座しています。
男坂は結構急斜面で時折海が見えて楽しいですよ。
駐車場がありますが、凄く分かりにくかったです。
境内や社殿の清掃・整備は行き届いている印象でした。
境内に置いてあった「竹あかり」が記憶に残ります。
御朱印はスタンプなのが残念でした。
乃木坂46 初森ベマーズに登場します。
作品中では初森神社。
湘南平へ向かうハイキングコースの麓にある神社、御朱印は無い。
葵の御紋がステキです♪
名前 |
高来神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0463-61-1146 |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
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高麗山の麓にある神社、その隣に慶覚院があります。
以下、別サイトから転載。
江戸時代の御祭神は「高麗大権現」「村名は同寺名にちなみ」「高麗の名は、古く当地辺りに高麗人が住したところにちなむ」『新編相模風土記』より。
江戸時代、高麗寺には、徳川家康を御祭神とする東照宮が祀られていた為、参勤交代の際、諸大名は下馬して参詣せねばならなかったと云われる。
しかし、明治の世になり、これが災いしたようです。
この高麗寺は徳川幕府の滅亡ととも廃寺となり、今は末寺の慶覚院のみとなっています。