鵠沼海岸への通り路、寄ってみました。
鵠沼海岸への通り路、寄ってみました。
今は個人の家になっています。
明治時代に鵠沼海岸を別荘地として開拓した先覚者、伊藤将行が明治20年代に創業した旅館(お墓が鵠沼海岸7丁目の本真寺にある。
また江ノ電鵠沼駅前の賀来神社境内に、伊藤将行を顕彰した「鵠沼海岸別荘地開発記念碑」がある)。
東屋は、芥川龍之介や岸田劉生など、錚々たる明治の文化人が逗留した華やかな歴史を持ちます。
今でもこの付近を散策すると、そこはかとなく東屋の名残っぽいものが感じ取れます(海浜口門柱跡が最もわかりやすい)。
関東大震災で東屋は壊滅的な打撃を受け、衰退します。
第2次大戦後、代わって「東家」という料亭が規模を縮小した跡地にできましたが、それも平成7年に廃業し、東屋の歴史は終わりました。
関東大震災時の津波被害ですが、東屋周辺などに残る邸宅の外周に、玉石を埋め込んだ石垣があるのをよく見かけます。
この石垣は、津波被害の後に再度の浸水を防ぐために作られたのではないかと想像されるのですが、これらの高さは総じて50~70センチ位です。
ということは、当時の住民はこの位の高さの石垣を作っておけば大丈夫だろうと思ったのでしょうから、当時の津波の高さは、概ね50~70センチを超えることはなかったんじゃないか、と考えられるように思います。
当時は引地川の河川改修もされておらず、河口付近などは堤防がないような状態だったと思われるので、津波被害もより起きやすい状況にあったと考えられます。
引地川の河川改修は昭和初期に行われたもので、現在の河口は正面に江の島が見えるように配置されており、これは江の島を自然の防波堤に見立てて、引地川周辺や、川を遡上する津波の勢いを和らげようとした、先人の知恵なのではないかな、と推理するのですが…
明治後期から昭和初期にあった旅館。
芥川龍之介、谷崎潤一郎、武者小路実篤、志賀直哉などが投宿した。
芥川龍之介は東屋の貸別荘に家族を呼んで泊まった。
鵠沼資料展示室に東屋の写真。
名前 |
旅館 東屋跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
幼少時ここで一族の新年会などを開いた思い出の場所です。