名前 |
原宿浅間神社(原宿鎮守社) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
江戸時代以前は、東海道において江戸より11里(約43.2km)の地点であり、1里毎に於かれる一里塚の、その11番目である「原宿の一里塚」が存在したと伝わる場所に建立されている神社です。
現在は、周囲を国道一号や、宅地開発で地形が削られ、この神社の場所だけぽつんと緑が残る小山のようですが、江戸時代当時は、俣野を流れる境川および宇田川の侵食で、相模野大地が削られた斜面の一角にあったと思われます。
原宿村と呼ばれたかつてのこの地域の鎮守であったそうで、庚申講や、富士山講の石碑が残り、かつての神仏習合時代の民間信仰活動である講の名残を見ることができます。
浅間社の名前からも、富士山信仰の本山である下吉田(現在の山梨県)の浅間神社との繋がりを感じさせます。
創建は1558年であり、豊臣秀吉の滅ぼされる以前の後北条氏の治世に原宿村の村民によって村中安全を祈願して勧請されたそうで、近隣にあった玉縄城(現在の鎌倉市の大船近辺)の城主であった北条某かが篤く信仰したと伝わります。
1582年には、本社のある山梨の武田氏が織田信長による甲州征伐で滅亡し、1590年には秀吉の小田原攻めで後北条氏は滅亡しているため、この神社も激動の時代を経て、多くの地元の人々に守られながらこの地にあり続けたのだと考えられます。