長閑な散歩、長尾氏の丘で。
地図上の位置がズレていたのでGoogleに修正を提案済み。
正しくは一本右の道で、御霊神社に入る道のやや南のカーブに看板があります。
↑城好きとしての評価です。
玉縄城の砦として築かれたらしいです。
また、上杉謙信などの長尾一族発祥の地とされ、長尾氏の居館跡でもあるそうです。
説明板もありますが、周りの道が狭く、分かりづらいです。
御霊神社という神社に、空堀や土塁らしきものや、説明板の横などには、櫓台らしきものがありました。
あくまで僕の考えですが、説明板のある道路は堀跡、または堀切なのではと思いました。
個人の感想ですが行ってみて損はありません。
余り遺構は無いかと思いきや、意外や意外、玉縄城主要部に繋がる尾根方面に隠れる様に林道に成ってる空堀状の道と土塁の武者走り、その下には谷を裾切した大空堀が残ってました。
旧地形の名残も日本城郭大系の縄張り図を参考に訪れると結構確認出来ますよ~。
城跡との事ですが、看板がなければそれと気づかない位に何もないです。
長尾城(ながおじょう)、または長尾台の塁(ながおだいのるい)、長尾砦(ながおとりで)、長尾台城(ながおだいじょう)は、神奈川県横浜市栄区長尾台町(旧鎌倉郡長尾郷)にある日本の城跡(山城)。
玉縄城の出城とされ、また関東管領上杉氏の家宰・長尾氏発祥の地と伝わる。
古くから長尾氏発祥の地と伝えられる。
『新編相模国風土記稿』には「長尾景茂が居住していたが、弘治年間(1555年-1558年)に戦死し、その後は後北条氏被官・鳥居伝十郎なる人物が1590年(天正18年)の後北条氏滅亡まで居城とした」とする伝承を伝える。
ただし長尾景茂は1247年(宝治元年)の宝治合戦で戦死した人物であるため、誤伝ともされる。
なお、城跡の北東山麓にある御霊社は、1093年(寛治7年)に長尾氏の祖・長尾景村が建立したと伝わる。
相模丘陵の南部、玉縄城のある丘陵の北東の端の舌状台地が長尾砦跡(長尾台の塁)である。
関東管領上杉家の家宰長尾一族の故地と伝えられる。
細い階段を上ると竹藪の奥に曲輪と思しき平段が見られます。
城跡は分からなかったけど、畑と住居があり長閑で近いので散歩してます。
説明を受けなければ(看板を見なければ)、そこが城跡だとは全く思えないフツーの場所。
城跡の名残らしきものは(おそらく)何もない。
お城の跡地?
鎌倉武士長尾氏の屋敷があった丘。
名前 |
長尾城 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.1 |
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この周辺は横浜市栄区の農業指定区域になっていて、ほのぼのした雰囲気が漂っています。
高台になっているので見晴らしが良かったです。