由緒ある源氏の神社。
現在の鶴岡八幡宮はここから移設されたようです。
住宅地の中にある小さな神社です。
5年前から鎌倉通い。
3年前にその存在を知り、妙法寺の帰りにお詣りをと思ったが、道に迷い叶わないままに終わっていた。
桜の季節の若宮大路を歩いたことがなかったこともあり、グーグルマップと言うアイテムを使用することで念願を果たした。
鎌倉の歴史はここから始まった、と言っても良いくらいの由緒正しい神社です。
大人気の鶴岡八幡宮と比べると地味で人気も無いですが、なんだがほっこりする良い神社でした。
すぐ近くのしめ縄をした民家を訪ねると、書置きですが500円で由比若宮の御朱印を授与頂きました。
良い参拝記念になりました。
お祀り、御朱印。
駐車場なし。
相模守だった源頼義が東北での戦に勝利し京に帰る途中、1063年に鎌倉に立ち寄り、源氏の守り神である石清水八幡宮の祭神を移しお祀りしたとされています。
その後源頼朝が現在の鶴岡八幡宮がある場所に社殿を移した為、ここは元八幡と呼ばれるようになったそうです。
住宅の中にひっそりとある小さな神社で、宮司さん(?)のお宅が隣接しています。
こちらで御朱印もいただけます。
鎌倉における源家の八幡信興始まりの地です。
いつかは行こうと思いながら、駅から離れていることもあり、先延ばしにしていましたが、「鎌倉殿の13人」の年の内にと思い定め訪ねました。
場所が分かりにくいので、地図を片手に狭い路地を歩きながら探し当てました。
住宅街にある小さな神社で、ここが由比若宮と言われなければ、この地域の氏神様と勘違いしそうです。
まずは、お詣り。
参道を挟むように2本の大きなイチョウが植えられています。
賽銭箱には丸に鶴のマークが入っていました(鶴岡八幡宮と一緒ですね)。
また、境内には、「源義家公 旗立の松」がありました。
この松は、「前九年の役」に続き、奥州での合戦となった「後三年の役」に向かう際、源義家が旗を立てたと言われているそうです(いまは切り株が残されています)。
この社は相模守であった源頼義が「前九年の役」において奥州の豪族:安倍氏を討伐、源氏の守り神である京都石清水八幡宮に戦勝祈願をしていた源頼義が、そのお礼として石清水八幡宮をこの地に移しお祀りしたのが起源とのこと。
その後、源頼朝が現在の鶴岡八幡宮へ社殿を移してから、ここは元八幡と呼ばれるようになったそうです。
鶴岡八幡宮とは違い、訪れる人もあまりいない静かなお社ですが、源氏と鎌倉とのつながりがここから始まり、武家の世がつくられていったと思うと感慨深いです。
せっかくなので御朱印をと思ったのですが、社務所が見当たりません。
普通の民家にしか見えなかったのですが、しめ縄がしてあったのでインターフォンで尋ねたところ、しばらくお待ちくださいとの返事があり、無事頂くことができました。
御朱印は「八幡」と書かれた封筒に入れられていましたが、八の字がハトになっていました!
源氏推しの方は訪れて損はないと思います。
閑静な住宅街の真ん中の小さい神社ですが、千年近い歴史の重みを感じれる場所です。
▼住宅街の中の一角にある小さなこの社が、源氏が鎌倉とゆかりが深くなるきっかけの神社です。
ここが鶴岡八幡宮の起源なのです。
▼奥州(東北)における前九年の役が終わった1063年、源頼義(よりよし)が与えられていた鎌倉のこの土地に石清水八幡宮若しくは壷井八幡宮から勧請したとあります。
▼頼義は、前九年の役の途中で陸奥将軍の任期が終わり、一度関東の所領である鎌倉へ戻り、1058年、再度軍備を固めて奥州へ安倍氏を滅ぼすために出征しました。
出征前、この社に戦勝祈願をし、「もし安倍氏を滅ぼすことが叶った場合、石清水・壷井等の源氏ゆかりの大きな八幡から勧請差し上げます」と誓ったのでしょう。
▼これは現在杉並区にある大宮八幡宮も同じ(奥州へ出征する途中、杉並区のこの土地でも誓った)ようです。
▼更に鎌倉のこの社から奥州へ行く街道十里(40㎞)毎に、八幡神社を一社ずつ造りますと誓いを立てながら、幣帛(へいはく)を立てて行ったようです。
これは現在川崎の稲毛総社が、ちょうど鎌倉から40km、立派な白旗八幡が建っています。
▼この小さな社を、鎌倉入りしたばかりの頼朝が、鎌倉を源氏の都とすることの象徴として、鎌倉の奥(小林郷)へ1180年に移設したことが今の鶴岡八幡宮となっているのです。
▼この社の辺りを由比郷鶴岡といったことから、「鶴岡八幡宮」と名前まで移動したことになりますが、この社の辺りは長らく湿地帯であったことから、まさに1000年前は鶴がこの辺りに飛来していたのかもしれませんね。
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56. 若宮八幡(元八幡)河内源氏・源頼朝(頼朝の父)の先祖、源頼義は、その子義家とともに「前九年の役」(1051~1062年)において奥州の豪族、安倍氏を討伐しました。
さきに京都を出陣したとき、京都石清水八幡宮に戦勝祈願をしていた源頼義は、そのお礼として1063年、石清水八幡宮をこの地・鎌倉に勧請した。
これがいまの由比若宮、あるいは元八幡です。
それから18年後の永保元年(1081)2月、頼義の嫡男八幡太郎義家は、陸奥守として任地に下向する途中、鎌倉に立ち寄り、由比若宮に修復を加え、何ごとかを祈念した。
そして永保3年(1083)9月、果たして清原一族の内紛から、後三年の役が勃発した。
もちろんこれも、源家の勝利だった。
やはり効験はあったのである。
この歴史は、鎌倉という土地が鎌倉幕府成立以前から関東及び以北における要衝の地であったこと考えられる。
治承4年(1180)10月6日、大軍を引き連れて鎌倉入りた頼朝は、翌朝早く、まず元八幡を遥かから拝んだという。
治承4年(1180)10月12日、元八幡の移転が挙行された。
きわめて簡素、かつ素朴なものだったらしい。
建立当時の鶴岡八幡宮は、現在の石段の下に位置していたようである。
鶴岡八幡宮の元々あった場所ですね遷宮されて 地元の方々の思いや如何に?
こじんまり静か。
2019年の運氣が上がる神社です。
由緒ある鶴岡八幡宮所縁の地静かな境内。
鶴岡八幡宮の元のお宮です!
頼朝はここから八幡宮を移転させた。
八幡さまの元の場所ですね 思いの外小ぢんまりしてますが 住宅地の中に有りますがとても静かです🙇
宮司さんがいなかった。
名前 |
由比若宮(元八幡) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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鎌倉散策で参拝。
落ち葉集めでお忙しい年末に、丁寧に御朱印の対応をしてくださいました。
ご対応くださりありがとうございました🙇