北条時宗の時代の幕府はここにあったようですが今では...
若宮大路から住宅街に入って旧大佛次郎茶亭の並びの黒い板塀が続く角に石碑があります。
宇津宮辻子幕府から若宮大路幕府に移されたとも、宇津宮辻子幕府を増築したものともいわれています。
鎌倉幕府が滅ぶまで政治の中心となりました。
鎌倉幕府3つ目の跡地だそうです。
閑静な住宅街で当時の趣きは伺えられませんが、栄えていたのでしょうね♪
以前の職場の先輩から若宮幕府跡のことを聞き訪れたことがあります。
歩いて回れる範囲に頼朝の墓・大蔵幕府跡・日蓮上人辻説法跡などの歴史を感じるところもありいいですね。
鎌倉幕府、3つめの御所です。
この碑が無ければ、絶対に足を踏み入れなかっただろうなぁと思うような狭い路地に石碑がありました。
とてもかつてここに政治の中枢があったとは思えないくらい、静かな住宅街にな屮ます。
滅びるということは、ここまで姿を変えてしまうものなのですね。
政子の死後、大倉から宇都宮辻子へ御所を移動、その11年後に若宮大路幕府が建築されたそうです。
若宮大路幕府は新田義貞の鎌倉攻めによる滅亡まで、98年間幕府が置かれていたそうです。
ここに幕府があったなどとても想像も出来ませんが、若宮大路の賑やかさが嘘のように静かな路地なので、いつものんびりと散策路しております。
清川病院からメーカーズシャツ鎌倉本店方面に抜ける小路にあります。
あれだけ巨大な権力をもっていた鎌倉幕府が今ではこんな住宅街の中にポツンと石碑が残る程度なのが何とも寂しいものである。
雪の下、二階堂近辺は観光客も少なく、静かな町並みと所々に昭和を感じる場所があったりします。
鎌倉幕府の跡地だそうです。
鎌倉幕府は初め大蔵にありましたが、1225年頼朝の妻の政子が死ぬと、将軍藤原頼経は幕府を宇津宮辻に移動させました。
その11年後の1236年には更にこの場所に移動させました。
それ以後98年間、頼経以後六代の将軍が相継いでここで政治を行いました。
1333年新田義貞が鎌倉に攻め入ったことにより亡びました。
今は石碑があるだけです。
新田義貞に鎌倉幕府が滅ぼされた時、幕府はここにあったとの事。
頼朝さん死後北条政子さんが作った幕府。
名前 |
若宮大路幕府舊蹟 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0467-23-3000 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
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北条時宗の時代の幕府はここにあったようですが今では住宅地の真ん中にひっそりと記念碑があるだけです。