地元では「首塚」と呼ばれています。
ずいぶん前に正月の三が日に訪れました。
さすがに参拝客や観光客はここまで来ません。
長い階段の上にひっそりと立派なお墓があります。
例えるなら、青山霊園にある明治期の著名人や元勲を思わせるお墓です。
護良親王何も悪くないのに武士に暗殺された悲運の人物二階堂 貞藤(にかいどう さだふじ)は、鎌倉時代後期の御家人。
鎌倉幕府政所執事。
法名の道蘊(どううん)で呼ばれることも多い。
の配下が奪還を試みたが失敗する。
由来はみなさんご存知の通り。
石段は全部で168段。
一気に登ると短時間で脈拍を上昇させることができ、日々のトレーニングには最適だ思います(週に2回ほど登らせていただいております)。
コンクリートの石段部分は良いのですが、平坦な鎌倉石の部分は滑るのでお気を付けください。
夏は虫よけをお忘れなく。
足利尊氏に謀られた大塔宮護良親王は、建武1年1334年9月22日清涼殿で捕えられ鎌倉のこの地に送られ足利の監視下に置かれた。
そして、北条時行に鎌倉が攻められた混乱に乗じて足利尊氏の家来に現在の鎌倉宮がある地で殺害されている。
(数えたわけではないが)300段程階段を上った先にある。
但し、最後の30段ほどは門扉が閉ざされており、入ることができない。
宮内庁管理。
あ~、しんど。
浜松の井伊谷宮で祀られている宗良親王の異母兄弟だそうです。
最初の階段を登りきる直前、苔の生えた石畳の先に更なる長い階段が見えてきます。
えーと言う感じ。
あまり訪れる人もいないようで苔は滑りやすいので要注意。
この階段が一番長く、ここも登りきると今度は左手にまた階段が。
計三段の階段があります。
その先の階段には門があり入れません。
宮内庁管轄ですがあまり手をいれてない感じで、井伊谷宮と比べるとあまりの落差に愕然です。
急な果てしなく続く階段、あまり訪れる人も無さそうな山の上で護良親王様も寂しいと思った。
宮内庁管理のようだがもう少し手を入れて欲しい。
地元では「首塚」と呼ばれています。
ここから程近い、今は廃寺になってしまった理智光寺のご住職が(真偽はともかく)護良親王の首を丁重に葬った。
と、子供の頃に教わりました。
急な階段が続く、静かな墓所です。
墓所は宮内庁が管理している様です…同じく護良親王に縁の深い大塔宮(鎌倉宮)と合わせて訪問されるのがいいですね。
名前 |
護良親王墓 |
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ジャンル |
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電話番号 |
042-661-0023 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
護良親王は、鎌倉時代末期から建武の新政期の皇族・僧侶・武将・天台座主・征夷大将軍。
還俗前の名は尊雲法親王、通称を大塔宮とも。
一般に後醍醐天皇の第三皇子とされるが、一宮という説もある。
母は民部卿三位で、桓武平氏と清和源氏の混血の畠山家の北畠師親の娘の資子という説と、勘解由小路経光の娘の経子という説がある。
尊珍法親王の異父弟。
興良親王の父。
のお墓。