ここに住んでいたんですねぇ。
鎌倉幕府黎明期、京から頼朝に招かれたあの大江広元、ここに住んでいたんですねぇ。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ていると、大江広元は、常に頼朝や義時のそばにいて政務に関わっていたと思うのですが(たしか、政所の初代長官だったハズ)、それにしては、ずいぶん離れた場所に屋敷があったのですね。
今日、十二所神社から岐れ道経由で八幡宮まで歩きましたが、これを毎日、通勤でと言われたら、イヤになっちゃいますね。
文官なので、いざ鎌倉という時も、急ぐ必要がなかったのか、それとも文官とはいえ武士なので馬で通勤していたのでしょうか。
ドラマでは和田合戦の際、実朝の傍らにいて、大立ち回りまでして見せたので、馬も上手に乗りこなせたのかな(だからドラマはフィクションだってば!)。
石碑にも書かれていますが、鎌倉幕府創設に多大な貢献をした大江広元の子孫(毛利氏\u003d長州藩)が王政復古で倒幕を行ったというのは皮肉なことですね。
でも、歴史の変化点に大江氏ありというのは凄いですね。
石碑には、こんなことが書かれていました。
大江氏は、代々学門の家柄で、大江匡房は、かつて源義家に兵法を教えたといわれ、大江広元は匡房の曾孫。
広元は頼朝に招かれて鎌倉に来て以来、常に政治の中枢にあり、 幕府創設に多大なる貢献をした。
このため相模の毛利の荘を与えられ、子孫は毛利を名乗っている。
皮肉にも、鎌倉幕府を創った功績者の子孫は、700年後の明治維新で、天皇制の復活運動に活躍している。
ここがその毛利の先祖の邸宅があった場所である。
2023/1/9完全な私宅なので、うろうろし難い。
今は住宅地になってるだけ。
大江広元の邸宅跡だそうです。
金沢鎌倉街道から小さな橋を渡った民家の前に建ってます。
明石橋交差点の近くにあります。
ダージュ・グァンアン寺院の記念碑(原文)大江廣元邸址碑。
源頼朝の側近・政治行政面より鎌倉幕府の基礎を作った人物。
大江広元の子孫が中国地方の毛利氏の祖である事から、幕末長州藩がこの場所を買収しようとしたが、多条件で折り合いがつかず断念したそう。
大管領。
中心街からはかなり離れた位置にあります。
名前 |
大江廣元邸址碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
十二所の住宅街にひっそりと佇む大江広元邸跡の石碑です。
近くにある明王院の裏山には、大江広元のものといわれるお墓があります。