名前 |
氷取沢間宮家陣屋址 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
1.2 |
新編武蔵風土記稿によれば、氷取沢に在る宝勝寺の西の丘が戦国時代末~江戸時代初期の氷取沢間宮家初代当主、間宮綱信の陣屋跡にして旧臣岡本家が守っている土地と記載有り。
その地が正に氷取沢神社旧社地の団地に当たる。
元々は神社は、このマンションの団地の中に鎮座していた。
氷取沢神社は旧間宮家臣団が主家間宮分家の間宮綱信公の江戸時代の陣屋跡を守る為に建てた神社である事が解る。
現在でこそ御祭伸に間宮綱信公の無きにしも、嘗ては間宮綱信公の御霊を祀る神社であったと推測できる。
氏子には間宮旧臣岡本家や旧北条氏照公家臣の金子家の名が見える。
間宮綱信公は戦国時代の北条家中に在って織田信長公への使者を務め、日本100名城の1つ八王子城を縄張りし、北条氏照与力として内政文書を発行する等の外交官内政官として活躍した名将だった。
しかしながら、宅地開発利権と結び付きの強い神奈川県と横浜市により、氷取沢陣屋は間宮綱信公の事積の大きさを無視した上で教育委員会による発掘調査されないまま宅地開発により破壊された。
氷取沢神社は土建屋の地上げから神社を守る為に旧家臣団の氏子中により現在地に遷座され社稷は守られたが、失われた史跡、氷取沢陣屋は二度とは戻らないし遺構の詳細も不明。