あの北条氏が狭山に転封されていたとは。
北条氏康・四男の北条氏規の長男・氏盛が後北条五代・氏直の養子になり、後に狭山藩初代藩主となりました。
二代藩主・氏信の代より当地に陣屋が設置されて、十二代・氏恭の代まで続き明治維新となります。
これといった遺構はありませんが、当時からの道路と区画が残ってる程度です。
198号線 河内長野美原線沿いの上屋敷に石碑などあります。
車は、止めれませんが大阪狭山駅からも歩いて行ける距離です。
これから狭山池周辺は桜が咲き西高野街道、中高野街道、下高野街道が通っているので散策しながら歴史街道を巡るのも良いですよ。
☺👌
江戸時代の大阪の小藩である狭山藩の陣屋の跡地です。
お城と言うほどの規模はありませんが、周囲には掘も残っています。
この地域は佐山池が代表される通り、古代からため池を中心とした水利が充実しており、文化度も高いところです。
付近に著名な考古学者故末永博士の自宅があります。
余程狭山藩に関心がある方以外、地元の人も見向きもしない場所で、見るべきものは全くないと言っても過言ではないでしょう。
名前 |
狭山藩陣屋跡 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
072-366-0011 |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.pref.osaka.lg.jp/bunkazaihogo/maibun/sayamahannjinnya.html |
評価 |
3.1 |
狭山北条の陣屋の跡地です。
小田原の北条が秀吉に負けた後、この地に移らされたとの事です。
陣屋の門が、本願寺堺別院に移築されています。