お休みで入れませんでした。
震災遺構 仙台市立荒浜小学校 / / .
津波被害にあった小学校を遺構として公開している施設です。
動画の展示や周辺の模型などもあり、被害の様子や被害を教訓にした津波対策の状況がよく分かりました。
屋上からは、津波でほとんど更地になってしまった周辺地域を見渡すことができます。
瓦礫などは片付けられていますが、津波により壊された箇所が部分的に残されていて、津波の圧倒的な力を感じさせます。
北側の階段には浸水の跡が残っていて、2階まで津波が到達していたことがわかります。
現場に立ってみると、実感として伝わる怖さがありました。
ここはぜひ言って欲しい場所‼️小学校が当時のままで中に入ることができて写真や展示物や動画がありました‼️本当に言葉にならず放心状態になりました‼️11年経っても会場の周りはほぼ何も無く津波の恐ろしさが身に染みて伝わってきます‼️無料で見れるので1回は立ち寄って見てください‼️
見晴らしの非常に良いところです。
平地で海も一望できるここから、津波によって民家が流される光景を見ていた方がいらっしゃると思うと複雑な心境です。
下の堤防を車で走っていても海とほぼ同じ目線なら、波が来ていることは直前でないと分からない と実感しました。
観光で近くに来た方は寄られるといいと思います。
閉校?時間あるのでご注意下さい。
東日本大震災の当時の状態を出来る限り保存している小学校跡の施設。
初めて仙台を訪れ、どうしてもこちらの小学校を見学したく訪問しました。
県外からの訪問で当時被災はしていません。
当時の報道やYouTubeなどでしか感じることができなかった、当時の状況を目で見て感じることができました。
あれから11年もの月日が流れていますが、沢山の方が来られていたことに正直少し驚きました。
駐車場には県内や近隣のナンバーの車が多く、当時のことを伝えたり、思い返したりできる良い場所なんだなぁと感じました。
当時の写真などを見ながら、小学校の窓の外には現在の荒浜地区が広がっていて、ほんとなんとも言えない気持ちに…。
不便なく、大切な人と生活できている日常に感謝しなくてはと思えた場所でした。
この様な施設は、語り継ぐ事と共に残す事で津波の恐ろしさを伝える大切な人類資産です。
ニュースなどで知っていたつもりでしたが、詳細に説明があり当時の状況が伺い知れます。
色々見ているうちに込み上げてくるモノが…一度は訪れてみるべき!
震災当時まだ生まれていない息子を連れて、夏休みに社会科見学として訪問。
小1ながら、ここがどういう状況だったかは理解できていたようだった。
展示室内の当時の周囲を再現した模型と、窓の外の今を対比して、当時避難されていた方々が見ていたであろう津波の恐ろしさを追体験した。
私は旅行で寄りましたが、駐車場に停まっていた車のナンバーを見ると、地元の方も多く、震災の教えを伝える場としても、いつまでも残り続けてほしいと思う。
鉄筋コンクリート造の学校のため生き残ることができた。
町一つ消えてしまうぐらい恐ろしい津波だった。
仙台市内から一番近い震災遺構です。
(仙台駅から車で45分くらい)レジャー感覚で行くべき場所ではありませんが、地域が居住制限区域で、駐車場を挟んだ道路の向こう側に人の暮らしがあったことを考えれば、復興の影の部分を実感できます。
私は震災の15年ほど前に荒浜地域で仕事をしていたこともあり、たくさんの顔も名前も知っている方々が亡くなっています。
震災前には「例え津波が来ても『貞山堀(貞山は伊達政宗公の戒名の一部です)』を波が越えてくることはない」となぜか皆が盲信していました。
その貞山堀に架かる橋を渡って海岸線に向かえばかつての住宅の基礎が残り(これらも震災遺構になっています)、慰霊碑もあり、こちらの観音像の頭頂部が津波の高さだそうです。
画像は海側から慰霊碑に観音像の向こうに荒浜小方向や仙台市中心部方面を対照的に写したものです。
かつては仙台市で唯一の海水浴場だったため、頑丈なトイレが設置されていました。
松林の名残にある窪んだ場所は、かつてのトイレが津波による越流によって土壌が剥ぎ取られた痕跡です。
津波により、いかに大量の水が長時間に渡って勢いよく流れたかを雄弁に物語ります。
感受性の強い方なら、慰霊碑や観音さまの像に手を合わせることは良いとしても、犠牲者の名前を見るのはやめておく方が無難です。
コロナにより施設内の見学ができない状況でしたが、職員の方が親切に震災当時の状況や、現在の津波対策を教えてくださり、とても勉強になりました。
また、この地から少し離れた歩いていける範囲内の場所にある「震災遺構 仙台市荒浜地区住宅基礎」も訪れる価値があると思いますので、時間があれば行ってみるといいでしょう。
言葉を失う、この景色。
まるで新興住宅地用に山を切り開いた土地のよう。
今まで多くの人の生活がここにあった。
ポツンとここに残された荒浜小学校。
現在はコロナの影響で閉館中。
外からだけ目撃したこのこの惨状。
21/4/10 訪問。
津波襲われながら耐え、多くの避難した人々の命を救った小学校です。
遺構として9年前同様残されていました。
災害避難場所として残された様です。
コロナの為、見学は出来ませんですたが、いつでも避難できるようになっています。
遺構保存のあり方の一つだと思えます。
仙台市の浜辺そばの震災遺構である小学校跡地です。
1F、2Fはガラスや曲がった鉄骨等、ほぼ当時のままです。
水を被ったスチール棚等もそのままです。
4Fは震災への教訓や当時の状況をする事ができる展示室になっています。
スタッフが常駐しており、掃除や暖房などの手入れも行き届いており、全館バリアフリーの構造となっています。
屋上までのエレベーターもあります。
津波の怖さを知る事が出来る、貴重な存在です。
この場所を訪れた背景としては、私の苗字と同じ地名があり気になっていたこと。
だけど行ってみたら衝撃を受ける。
行きたくて行くのとは違う。
衝撃を受けました。
被災地は広範囲に広がりこういうドラマがここで起きたと震災遺構で今後残されていくと思うと胸が詰まります。
周囲の何もない場所、すべてを飲み込んでしまった津波の破壊力は想像以上。
その爪痕は是非、一度は行っておくべき場所だと思いました。
観ているうちに目頭が熱くなる部分もあり、この周辺に来た場合は必ず寄りたい場所です。
ちなみに事務所に行って「荒浜という地名の意味とか、周囲に荒浜と苗字は多いですか?」って聞いたらすごい!ってめちゃくちゃ歓迎されましたが、荒浜と苗字は周囲には無いと自分のルーツ探しも降り出しに戻ったということになってしまった。
後世に残してみんなの記憶にも残してほしい我が母校です。
震災の事実を校舎が訴えてくるような感覚、津波の怖さがよく分かります。
子供には見せないほうが良いと思います。
ここの職員さんから当時のお話をお聞きしました。
胸が痛くなり言葉がつまり中途半端な気持ちであったり遊び半分で訪れる場所では無いと再認識します。
亡くなった被災者の方々には御冥福をこころよりお祈りいたします。
また被災された方々にも大変だとは思いますが前を向き頑張っていただきたいと思います。
残念ながらお休みでした。
撮影するには、良い天気でした。
ここは震災以降、何度も近くを訪れていましたが、廃墟でしたので、素通りしてました。
でも今日、改めて遺構となった小学校を見たとき、あの震災を忘れてはならないと思いました。
2019年12月27日(金)13時半頃、強風の中、当地を訪れました。
平日だというのに、校舎前の駐車場には、車が十数台、中にはマイクロバスもあり、子供を含む学校関係者が訪れているようでした。
一通り、校舎周りを見学したところ、あり得ないようにグニャリと引きちぎられるようにして曲がった校舎2階のベランダのフェンスを見て、津波の凄まじいパワーを感じざるをえませんでした。
おそらく津波に乗って運ばれてきた車や家屋などが当たって破壊されたものと思われ、あらゆるものを飲み込んだ津波は、もはやただ海水ではないので泳ぎが得意だなどということは関係なく、自分も飲み込まれたら助からないだろうと、恐怖の破壊力を感じました。
校舎に入って、1階から見て行くと、1年生の部屋などはある程度片付けられているものの、壁に貼られた拡大写真は、海水が引いた直後のものと思われ、あらゆるものが廊下や教室に無理矢理押し込められていたのが分かるものでした。
階段で2階に上がってみると、津波は2階の40センチの高さまで到達したことが写真等で示されていました。
さらにエレベーターで4階(3階は公開されておらず、停止階になっていない)に昇り、四つの展示室を見て回ったところ、この荒浜小学校の児童とここに避難した近隣住民は屋上に上って助かったものの、荒浜地区全体ではすべての家屋が全滅して1つの町が消滅、2百名を超える方々が亡くなっており、この津波は、9百戸超える地域住民の生命と財産に甚大な被害をもたらしたのだということを知り、言葉を失いました。
いずれにしても、この荒浜小学校を震災遺構として末永く保存し、ここにかつては荒浜地区が存在したこと、そして今後の災害に備え、現在と将来の日本人への遺訓とすべきであることを改めて強く思いました。
震災の事を知りたいなら絶対訪れた方が良い場所。
地震の凄まじさ、津波の威力、人々の絆の強さ…色々思い知らされます。
仙台を訪れた場所で一番印象に残っています。
レンタカーを使うと行きやすいです。
残念ながらショートムービーを鑑賞する事が出来ませんでしたが次回は必ず見て帰りたいと思います。
決して忘れない、忘れては行けない地震による津波の生き証人、旧 仙台市立 荒浜小学校。
浸水した2階部分まではがれき以外はそのまま。
三階は当時の生活を保存するため非公開、4階に震災当日の映像を時系列的に見せる設備あり。
津波が押し寄せた時、この小学校の周りは全て津波に飲み込まれている映像があります。
視聴にはご注意くださいませ。
恐れながら申し上げますが、これが現実ですので、しっかりと見てくださいませ。
その他、各展示室はエアコン設備あり。
朝10時から開門 。
早く着いた場合、荒浜小学校の海側に亡くなった方々の慰霊碑がありますので、ぜひ参拝を。
すぐ海の側ですので、海もご覧頂けます。
震災の被害を間近で見ることができる貴重な施設です。
このような施設を残すべきではないという意見もありますが、震災の記憶を忘れさられないためにも私は残すべきだと思います。
特に震災を知らない子供達には是非訪れてほしい。
施設は駐車場も広く、エレベーターもあります。
2017年10月12日に農業園芸センターの帰りのついでに訪れましたが、お休みで入れませんでした。
第2、第4木曜日は、休業だそうです。
門が閉まっていましたが、以前は校庭だった広い駐車場に自動販売機屋のトラックが1台休憩して駐車しているのを見て、勝手にイラつきました。
お休みの日なら、自動販売機の業者にも駐車場での求刑は許すべきではない。
入れなかった者がイライラする。
役所というところは、税金という不労所得のおかげで、お金の有難さを知らないようで、津波で人も住めなくなり、使いものにならなくなった小学校の有効利用が震災遺構というのは、いかがなものかと思う。
コンクリートの建築物は50年もすれば建替えになるものを津波を被って使えなくなった建物を無駄に税金を使って未来永劫残す必要が有るのか疑問です。
津波という天災で、だめになっただけなのだから、築50年に達したら、取り壊すのが最善だと思います。
津波の恐ろしさを実感できる。
文書や映像でないリアルがある。
20170918
津波に取り囲まれて、地元の人が助け合って危機を乗り切った施設を残しています。
波は建物の2階まで来たそうで1階は被害を受けた状況を保存、4階はコミュニティスペースと地域と学校の歴史、映像を含む震災の記録の展示になっています。
屋上では景色の震災前と後を比較できる資料が用意されています。
エレベーターやトイレがあり整備されているのと、記録とこれからの対策が丁寧にまとめられていて、あの時を伝えるには素晴らしい場所だと思います。
なお、外国語対応は万全ではないのかなとも思います。
仙台市若林区荒浜新堀端にある荒浜小学校を訪れる。
津波に襲われた小学校だ。
周りに建物は何もない。
残っているのはここだけだ。
2階まで津波が来ている。
津波の恐ろしさを実感する。
犠牲者のご冥福をお祈りします。
名前 |
震災遺構 仙台市立荒浜小学校 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
022-355-8517 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.5 |
震災から10年以上が経って・・・ですが、仙台に来る機会が持てたのでこちらにも伺ってみました。
何度も震災の映像で見た小学校であることはすぐにわかりましたが、ぽつんと建っている建物は外観からはまるで何もなかったかのように思えました。
でも校舎の中に入ってみると、津波の浸水のあった後などがまだ鮮明に残っていて、こんなところまで水が来ていたのかと、ここに逃げていた方たちの恐怖はどんなものだったのだろうと想像しただけで涙が出る思いでした。
校舎から海を見るとものすごく遠いです。
海までも歩いて行ってみましたが、穏やかな海で、あんなに脅威的な津波が起きたところとは思えなかったです。
小学校だけでなく海の近くには震災遺構が残っていましたが、あまり手が入れられていないのか、草に覆われたりしていてこのままでは風化しそうな雰囲気でした。
ここで起きたことをもっと教訓にできるように、訪れた人たちが発信していったほうがいいのではないかなーと感じました。