町中見守る賀茂皇神社。
賀茂皇大神社の特徴
津波の当来の碑がひっそり佇む神社で、歴史を感じられます。
太いご神木が印象的で、自然の力を感じる場所です。
バス経路の終点として、地域の案内目印になっています。
津波の当来の碑が目立たない所に?あります。
さがして。
ご神木も津波の塩害を考えればありがたいかも。
山の清々しさは❓️ですが、よくぞ残ってくれました的な。
バス名はまた、この地域で長い間人気がある神社を残しています。
大きなイチョウの木は遠く離れた存在を示しています。
私はComainuが比較的新しい外観であることを申し訳なく思っています。
メインストリートの近くに車がたくさんあるので、訪問するときに心配しましょう。
(原文)La nomo de la buso ankaŭ eliras, sanktejo, kiu estis populara en la regiono dum longa tempo. La granda ginkgo arbo montras ekziston eĉ de distanco. Mi sentas, ke Komainu estas relative nova aspekto. Ĉar estas multaj aŭtoj proksime de la ĉefa strato, ni zorgu, kiam vi vizitos.
賀茂皇大神社に、今朝はお参りしました。
境内にある津波到達の石碑を見るためです。
その石碑は、境内の南西の隅にあり気にしている人でないと分かりません。
町中で、何気なく見守ってくれています。
枝を大きく払われたとても太いご神木が、一本だけ立っているのが印象的でした。
2017年10月12日にお参りしました。
御神木の銀杏の木は、とても大きいですが、落ちているギンナンは小さかったです。
狛犬さんを撮影していたら、フェンスの修理をしていた大工さんに震災で社殿の屋根が傾いて修理をしたら、280万円も掛ったと教えてもらいました。
修理箇所は、新しい木材を使っているため、私にも分かりました。
鳥居をくぐると大きくて立派な狛犬さんが鎮座していますが、社殿のアルミ製の囲いの中にも田子の二木神社の狛犬さんと兄弟と思われる素敵な狛犬さんが鎮座しています。
こちらの狛犬さんは、昭和12年生まれの80歳です。
自分は狛犬さん探検が趣味なので、神社の隅々まで探検して狛犬さんを探しますが、普通のお参りする人には、素敵な狛犬さんの存在を知ることは無いと思われます。
賀茂皇神社はバス経路の終点にもなっていることがあり、いろいろな場面で案内の目印になっています。
例えば、タクシーの試験に3か所の神社の位置が出題されるそうです。
その一つが賀茂皇神社だと聞いたことがあります。
その境内に歌碑が一基あります。
宮城三十三番札所、第十二番川島明神の御詠歌に次のように書かれています。
夜もすがら 落ちくる川の水音になぎさのかもめ 立ちさわぐ声【意訳】夜夜通し、川の水の流れの音と渚(なぎさ)のかもめもが立ち騒ぐ声がする。
☆岡田は稲作が盛んだったので七北田川から引いた水の音が田に流れ落ちるのを聞いていたのかもしれません。
想像ですが、七北田川が人工的にまっすぐされたような形状をしています。
もしかすると七北田川はもっと南の方を流れていて神社付近の人でも水の流れを聞けたのかもしれません。
歌から蒲生と岡田の自然豊かな風景が想像できます。
そして歌を作った人には次の日に何か予定があって心さわいで眠れなかったのでしょうか。
題詞と詠人がわからないので歌の背景がわかりませんが、作者は寝付けなかったのでしょうか、次の日が待ちどおしい事があったのでしょうか、何か不安事があったのでしょうか、、、※歌碑は新しいものに置き換えられてしまいました。
賀茂皇神社はバス経路の終点にもなっていることがあり、いろいろな場面で案内の目印になっています。
例えば、タクシーの試験に3か所の神社の位置が出題されるそうです。
その一つが賀茂皇神社だと聞いたことがあります。
その境内に歌碑が一基あります。
宮城三十三番札所、第十二番川島明神の御詠歌に次のように書かれています。
夜もすがら 落ちくる川の水音になぎさのかもめ 立ちさわぐ声【意訳】夜夜通し、川の水の流れの音と渚(なぎさ)のかもめもが立ち騒ぐ声がする。
☆岡田は稲作が盛んだったので七北田川から引いた水の音が田に流れ落ちるのを聞いていたのかもしれません。
想像ですが、七北田川が人工的にまっすぐされたような形状をしています。
もしかすると七北田川はもっと南の方を流れていて神社付近の人でも水の流れを聞けたのかもしれません。
歌から蒲生と岡田の自然豊かな風景が想像できます。
そして歌を作った人には次の日に何か予定があって心さわいで眠れなかったのでしょうか。
題詞と詠人がわからないので歌の背景がわかりませんが、作者は寝付けなかったのでしょうか、次の日が待ちどおしい事があったのでしょうか、何か不安事があったのでしょうか、、、※歌碑は新しいものに置き換えられてしまいました。
人皇第55代文徳天皇の御代、今より1160余年前嘉祥年中、慈覚大師が上岡田に来臨、賀茂大明神別雷神を勧請され、その数年前の承和年中、仁明天皇の御代岡田の南東を流れていた冠川(現在の七北田川)沿いの中ノ島に草庵を結び居住していた雪峯行者が日夕禮拝祈念を罩められたという、後年天正年中には龍王院の別當職に任じた時、川島賀茂明神と称したこの東隣、現在の川島邸に持宝院があり不動尊を安置し、道場を設け衆々の修験者を養成したといわれている、龍王院は別當職に在事40余年にして復飾し藤原清信義と改名その後都法印浄眞法師(赤穂享保時代元鶴巻の人)文政年間には明王院融眞権大僧都、その後天保年間には重性院大皷家別當職となり安政5年祝融の難(火災)に逢い本尊及び凡鐘は寺、福寿院に奉納し明治2年神佛混淆(おなじ考え)廃止となり女婿(婿)義輝社掌となり姓を川島と称し明治8年村社に列し宅兆は曩に南福室熊野神社の南舊冠川の畔にあったが明治17年寺院規則改正により岡田福寿院に迂(移)された。
明治37年義輝没しその後孫女婿の平三郎が職を継いだが大正5年38才で蚤世した、それより多賀城村八幡神社の宮司菅野亦左エ門兼務する事40余年に及び現在に臻(至)る、以上古老よりの傳聞する所を記す。
昭和31年後裔正一殿其後を継げり。
昭和31年正月 鈴木久七一閑誌。
名前 |
賀茂皇大神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
022-258-1681 |
住所 |
|
関連サイト |
https://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310010046 |
評価 |
3.9 |
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初めて参拝させて頂きました。
🙏