この場所としては、極めて貴重な一里塚。
東戸塚駅から旧東海道を保土ヶ谷駅周辺まで散歩の途中にありました。
東戸塚駅からオーロラモールの中を上がって行けば、ほとんど階段を上らずに旧東海道まで行けるのでお勧めです!徳川幕府が交通の円滑を図るとともに、当時曖昧だった駄賃銭を決めるために、日本橋を起点とした距離が判るように一里(約40km)ごとに塚を作ったそうです。
昔のタクシーの料金メーターですね(笑)ここは日本橋から9番目の一里塚で、保土ヶ谷宿と戸塚宿の間。
道を挟んで両側に塚があります。
塚というよりは小山ですが(笑)その小山は現在では、公園になっています。
当時の旅人に思いをはせながらの楽しい散歩となりました。
距離を示す目印とした塚で江戸幕府により全国に設置されたそうです。
その中で左右とも残っている戸塚区にある品濃一里塚はとても貴重な史跡だそうです。
実際に見てみると確かに塚が残っていました。
ひっそりした場所にありますが歴史を感じられる貴重なスポットです。
今の東戸塚はマンションが多くなってニュータウンといった感じですが、駅から少し離れたところにひっそりと品濃一里塚があります。
左右セットで残っている場所は神奈川県でもここだけらしく貴重な史跡です。
日本橋から出発して9番目の一里塚、約36キロ地点、戸塚宿まであと一踏ん張り昔の旅人が休憩している姿が目に浮かぶようです。
東海道歩き旅の途中に通りました。
神奈川県内でほぼ完全形で残る唯一の一里塚で、県の指定史跡となっています。
殆どの一里塚は開発と共に削られて消失しているので本当に貴重な遺構だと思います。
江戸から数えて九番目の一里塚。
神奈川県内では、ほぼ完全な形で残っている県の指定史跡になっていますが、両側で対になるハズな反対側は私有地の看板があります。
不思議な空間です。
東海道五十三次の、品濃一里塚の史跡です。
隣の公園は日当たりがよく、日向ぼっこに合い、一里塚碑は高台の風がよく通る木陰で、涼むのに良かったです。
この場所としては、極めて貴重な一里塚。
京都からだと、左側にある塚にはくるっと回っていくことができます。
冬はともかく、夏は蚊なんかが結構いるので要注意。
立看板を読むまでは、ここが江戸時代、旧東海道の(日本橋から)9番目の拠点・『品濃一里塚』だとは殆ど気付かない程、地味にひっそりとした佇まいの塚です。
説明に因ると道の両側に当時のまま残っている塚は神奈川県でもここだけだそうです。
尚、県の史跡にも指定されているとの事。
(以上、看板の説明を引用)。
地元の誇りではありますが、うんちくを聞くまで有り難みが分かりません。
説明板によると西側の品濃村、東側の平戸村にそれぞれ塚が有ったそうです。
東側は道路から見えますが、民有地のため立ち入り禁止になっています。
西側は公園に上ると確認が出来ます。
現在は箱根駅伝を走る国道1号線(東海道)が少し離れた所を走っている為、こちらの旧道は交通量が少なくて当時の雰囲気を感じられるスポットです。
焼き餅坂から道は下ったり、上ったりで今も昔も歩くと大変です。
旧東海道 権太坂から境木地蔵を経て東戸塚方向に向かう途中に小高い丘がありますが、そこが信濃一里塚跡となります。
旧東海道なのですが、現在の主要幹線道路から離れていることもあり、開発を免れて往時の姿そのままに留めている貴重な史跡だと思います。
まだ見ていないという方は是非、境木地蔵尊と一緒に観に行ってください。
名前 |
品濃一里塚 |
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ジャンル |
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住所 |
〒244-0802 神奈川県横浜市戸塚区平戸4丁目16−45 |
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.6 |
日本橋から、数えて9番目の一里塚、ここまでで36kmということ。
塚は道路の両側に有り、今まで保存されているのはめずらしいと言う。
どちらも草木で覆われ、実態が見にくい。
東側の塚は私有地で、道路からはこんもりとした山に見える。
西側は、太い高い木が多く生えていた。
今はかなり伐採され、日差しが良くなった。