何故か…静かな感じで落ち着く神社?
陸奥総社宮宮城県多賀城市市川字奏社1番地こちらは往古陸奥国の府内にして陸奥国府に属する総社で、かつて歴代の国司の奉斎したところとなります😊国司は任国内の諸社に神拝することが定められていましたが、巡拝の手間を省くため、国内の神社を一箇所に集めて詣でることが広まりました😄こちらは陸奥国府多賀城に赴任した国司が、多賀城東門の近くに合祀勧請したのが始まりとされているそうです✨凛とした空気を体感しち、是非とも行かれてみてください😁
検索して初めて知った神社です。
参拝して、杉の木を見たり、境内を散策しました。
御朱印も頂き、心静かな時間を過ごせました。
とても歴史ある神社なんですね。
お神輿もありました。
駐車場は停め方にもよりますが、6.7台は大丈夫だと思います。
落ち着いた佇まい。
10年前に訪れて以来、今回は二度目の参拝。
地元の方が親族みんなで参拝に来てました。
ご家族のいたおかげで、御神木をスルーすることなく対面できました。
社務所に神職の方がいらっしゃったから、総社宮の成り立ちなどのお話を聞くことができて勉強になりました。
余談になりますが、東北全域で行われている歴カードをこちらでももらうことができます。
陸奥國一之宮の鹽竈神社と比べるとひっそりと立つお社です。
しかしながら、境内は落ち着き、パワーを感じます。
国府多賀駅から徒歩20分ほどです。
駐車場もあり、トイレもあります。
陸奥の総社ながら、境内はコンパクトであり、社務所、社殿、神輿庫などあります。
最近は多賀城の楼門再建を記念した絵馬が売られています。
御朱印は午前9時から受付ですが、不在の場合もあるらしく、訪問前に御朱印は揮毫していただけるか電話で確認することをすすめます。
素敵な御朱印を直書きでいただくことができました静かにゆっくりお詣りできました。
初めて伺いました。
駐車場から本殿までアクセスも容易です。
本殿右側に白木蓮と杉鎮座し風格を感じます。
お手洗い正面左側に有ります。
本殿正面は幹線道路沿いに位置し時間帯によっては注意必要です。
多賀城政庁跡の東隣にあります。
静かな佇まい、東北の各地の神社をまとめてあります。
ここにお参りすれば、統合された神社を参拝したことになります。
便利ですね。
多賀城市市川字奏社に鎮座する陸奥総社宮です。
御祭神は八塩道老翁神、八塩道老女神。
平安時代の延喜年間(901~922)に、陸奥国にあった100の神社の祭神を合祀して創建されたと伝えられており、鹽竈神社に参拝するには、先ず陸奥総社宮に詣でるとのこと。
有り難く、“陸奥総社宮”の御朱印を頂きました。
多賀城市市川の神社です。
『総社』は昔のお役人が赴任した土地の神社巡りの手間を省く為に、神様をまとめてお祀りした神社…との事です。
ここは陸奥国の総社との事で100社を祀っており、その社名がズラリと並んでいるのが壮観です。
境内はこじんまりとしており、御神木などの木々に囲まれて良い雰囲気です。
多賀城跡の近くにあるというのがまた良いですね。
『歴史のまち・史都多賀城』のロマンを感じる神社です。
2021年8月24日に参拝しました。
国司が、国府に赴任すると、赴任地の格式高い神社を参詣する決まりになっていたようです。
陸奥国は、領地が広大で、全ての神社を巡るのは、大変だったので、各神社の分社を陸奥総社宮に集めたとのことでした。
古代、国司には各国内の神社を巡拝する任務があった。
これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。
wikiよりそう、すぐそばに多賀城という古代の国府跡があります。
その頃からあるという事でしょうね。
お神輿が展示されていたりしますし、御朱印もセンスがあって好きです。
鹽竃神社よりも歴史が有るらしいです。
多賀城跡に来た時に良くよります。
佇まいにいにしえに想いをはせます。
何故か…静かな感じで落ち着く神社🙆🙇🍀
地元の方がひっきりなしにお参りに来ていました。
落ちついた良い神社です。
多賀城跡を散策してぐるっと回るかなってところで見つけました。
陸奥国の神社を一挙に集めたみたいな趣旨でできたそうな。
と言う割にはめちゃくちゃデカいわけでもなく、サクッと参拝できました。
雪道歩いて、体が冷えすぎていたのでほどほどにして駅までの道を急ぎました。
多賀城跡のついでに寄るのは良さそうです。
古代、国司には各国内の神社を巡拝する任務があった。
これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。
この制は平安時代に広まったものであるが、陸奥国の総社について当時の記録はない。
陸奥国府(多賀城)の近く、「奏社宮」と呼ばれていた当社を総社に比定する説が江戸時代から有力視されているが、当社で伝える古記録は失われており明らかでない。
なお、鹽竈神社を総社とする説があるほか、『延喜式』神名帳に載る「多賀神社」を当社に比定する説もある。
鎌倉時代には、陸奥留守職に任じられて「留守」姓を名乗るようになった伊沢氏により崇敬を受け、祭祀料として3,000刈の社地が寄進されたという。
江戸時代になると仙台藩初代藩主の伊達政宗による領内寺社整備が行われ、法蓮寺(鹽竈神社別当)末寺の市川山神奏院が別当として置かれ社務が行われた。
『宮城県神社名鑑』によれば、奏社宮には歴代藩主の尊崇が篤く、親拝代参などがあったという。
明治維新後、明治4年(1871年)10月に近代社格制度において村社に列した。
明治41年(1908年)に貴船神社など7社が合祀されたほか、大正12年(1923年)8月には神饌幣帛料供進神社に指定された。
現在も安産守護・海上守護・歳徳・武徳・大難除けの神として崇敬されている。
主祭神:八塩道老翁神、八塩道老女神、また陸奥国内31郡の式内社100社の神霊を合わせ祀る。
例祭日:4月第3日曜日。
車中泊の旅の中で訪ねてみたかった陸奥総社宮。
これで国司のように陸奥の寺社全て参詣したことになるかな😅。
多賀城の最も小高い所にあり、近くに多賀城の史蹟もあります。
大きくはありませんが良い風情の総社です。
御朱印は隣にある宮司さん宅で貰えます。
90歳だそうです。
力強い文字、余計にありがたく感じる御朱印です✨。
これからご縁する場所のためにご挨拶がてら神開き。
早朝だったこともあり、空気が澄んでいました。
多賀城の外郭に隣接して建てられている。
総社とは特定地域の神社を合祀したもので、一般的には国司の儀式の簡略化を目的として、平安時代に各国の国府近くに設置されたものである。
素直に受け取れば、この総社は国府たる多賀城の為に隣接されて作られたものであるが、残念ながらこの社の古い記録は失われており、実際のところでは定かではない。
史実的に確実なのは鎌倉時代以降の記録で、留守氏や伊達氏によって庇護されたとのこと。
いずれにしても、多賀城観光の折には訪れたい社である。
良い神社です。
小高い丘の上にあります。
お参りをしたあと社務所で御朱印をお願いすると、上がらせていただき直接目の前で書いていただけました。
ありがたいですなぁ。
多賀城の高台にある神社です!!静かな佇まいの所で、社も立派で綺麗です。
宮司さんも、社向かって右手の建物に居て、御朱印も頂けました(^-^)/
赴きがある素敵な神社でした。
緑の木々と、セミの音が響きわたる境内。
昔ながらのひなびた神社仏閣が好きな人には良いと思いました。
宮司さんも優しく、蚊の多いお盆次期でも社務所前に蚊取り線香を炊いて下さり、御朱印を待つ参拝者への気遣いも見られました。
駐車場は5、6台停めれ、トイレも完備です。
御朱印は初穂料300円。
道中、名もなき祠もちらほら見られます。
神社の創立は1千年程前 醍醐天皇の勅命で日本全国の由緒正しい神社を選別し神名帳に記載し延喜式内社と称し各国府毎に多くの祭神を1ヵ所に合祀勧請 これを総社宮と称す 国土鎮護の神 心願成就の神として歴代 伊達藩主を始め世間からも篤い信仰のあった由緒深い神社です・・鬱蒼とした杉木立に囲まれた神殿 心静かに手を合わせてきました・・神殿横に樹齢600年余の老杉 生命の偉大さを感じます 妻とともに幹に両手をあててパワーを頂いてきました✨隣には樹齢220年余りの老木蓮が蕾を いっぱいつけておりました 開花したら見事でしょうね!
由緒正しく厳かな雰囲気です。
駐車場は4~5台停められると思います。
ご朱印は300円。
趣ある書でした。
この周辺地域の神社を合祀した神社。
木々に囲まれた静かな総社です。
道路から近いものの、しっかりと木々に囲まれ、荘厳な空気を感じられます。
総社のため、東北地方の多くの神社の合祀となっております。
その名の通り、陸奥国の神々を合祀した総社(と言われている) 東北地方の多くの神々が集まっている。
平成28年4月29日参拝御朱印頂きました。
名前 |
陸奥総社宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
022-368-8065 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
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初めて参拝しましたが、落ち着いていて清々しい気持ちになりました。