丸八年もかけてヨーロッパを巡った彼が帰国した時には...
大冒険から帰国した支倉常長を待ち受けていたのは幕府による吉利支丹への弾圧。
Wikipedia等に記載の定説では帰国後2年で死亡しているが、それは幕府の目を避けるための偽情報で、伊達政宗は常長を守るため、この寒村で余生を送らせた。
当地で84歳まで生きながらえた、との説に基づくメモリアルパークです。
浪漫があります。
名前が通った人のお墓はある程度見晴らしが良いものだけど、このお墓は四方が山に囲まれ人目につかない場所にあり、親族が隠し、守ってきたのだなと言うのが感じられました。
交渉自体は失敗しててもその経験は生かせたはずなのに、キリシタン弾圧のため表に出ることが出来ずこんな山奥で隠居生活とは、さぞかし悔しかったと思います(T_T)
紅葉の時期は過ぎてしまいましたが、整備されていて綺麗な公園でした。
晩秋の頃に初めて訪れました。
牡鹿半島の月浦にある支倉常長出帆記念碑が陽なら、ここは陰と対象的な感じがします。
このパークは、遊歩道や階段等とても綺麗に整備されており、気持ちよく拝見させて頂きました。
藩主伊達政宗の命により、遠くスペイン・ローマへ出港したのが慶長18年(1613年)、7年後帰国時は鎖国と切支丹弾圧が全国的に強行されていたため、仙台藩は幕府へ常長死亡と報告、晩年を人目に触れないこの山林で過ごさせ、84歳の天寿を全うされたようです。
皆さまも是非両方の地を見学されますように🙏。
静寂な森の中にあり、駐車場やトイレもあります。
公園の入口には支倉常長の銅像があり、訪問者を迎えてくれます。
サン・ファン・ヴァウティスタ号でローマへ渡った偉業が有名ですが、その裏側があることを初めて知りました。
公園内は、良く整備されており歴史好きの方は是非❗
墓所。
トイレはあるし、道は整備されていて歩きやすいがそれ以外は何も無い。
説明書きも多くない。
歴史や当人に興味が無い人にはおすすめしない。
支倉常長公の墓所でございます。
イスパニアより帰国した常長公をキリシタンの弾圧より守るべくひっそりと晩年を過ごした土地。
因みに常長と言う名前は死後キリシタンであった事を隠す為の系譜に使われた名前です。
ともあれ今も静かにこの時代を見ているやも知れません。
まさにロマン!!
支倉常長の銅像が際立つ。
自然がゆたか、小川の水がきれい。
歴史を感じる。
駐車場とトイレはもっと広い方がよい。
常長の墓までの歩道は大変綺麗に整備されている。
平穏な場所。
常長がどんな余生を送ったか空想しながら、ここに記されていることこそが真実だと信じたいと思った。
丸八年もかけてヨーロッパを巡った彼が帰国した時にはすでに徳川幕府によって鎖国されていた・・・。
その失意のままこの地に2年も伊達政宗によってかくまわれ、52歳で亡くなった。
なんとも悲しい墓標である。
支倉常長のお墓までは山歩きになるので履物などご注意を。
山の中なので万が一の熊との遭遇に備えて音が鳴るものを持っていったほうがいいです。
草刈りなど、とても管理されていていいねー、トイレも綺麗だし、天気良ければマッタリ出来ますね!
名前 |
支倉常長メモリアルパーク |
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ジャンル |
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電話番号 |
022-359-5503 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.town.miyagi-osato.lg.jp/soshiki/nousei/memorialpark.html |
評価 |
3.5 |
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あの支倉常長の公園です。
普段はトラックの休憩場になってるイメージです。
トイレもあるのでありがたいですね。