狭いところにある。
昔からこんな綺麗な感じだったかは、気が付きませんでした。
旭区の区役所ちかくにあり行きやすかったです。
首塚も徒歩で1分の所にありました。
区役所でマップを頂いたので、次回はゆっくり巡りたいです。
旭区役所の向かい側に、ひっそりと立っています。
逆に、それが良い!笹の言い伝え、立て看板を読んで感動し、重忠公の無念さ、まっすぐさを思い、グッと来る。
畠山公の信念が感じられるパワースポット。
鎌倉殿の13人効果で来訪者が急増中。
畠山重忠ロスでここまできてしまった。
800年前にここで無念の死を遂げた武将をしのぶ。
以前から誰かしらの何かしらの場所だとは知ってしましたが、大河ドラマの影響で、畠山重忠公の終焉の地だと知り、畠山重忠公の人柄を知れば知るほど、この場所の重要さがわかり、通るたびに重忠公に思いを馳せてしまいます。
地域の方々に大切にされている場所だということがよくわかります。
駅から近いとこにありますがあまり手入れされてない感じです。
2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習で訪れました。
この碑は昭和の時代になって建てられたもののようです。
碑の近くには重忠のエピソードに絡めたさかさ矢竹も植えられている他、ささやかな花畑などもあり、きちんと整備されている感がありました。
畠山重忠は、源平合戦関連人物の中では、昔から人気の高い武将でした。
よく知らない人も多いと思いますが、源義経の鵯越の逆落しの際に「馬が怪我しないよう、逆に馬を背負って駆け下りた人物」と言えば思いあたる人も多いのではないでしょうか(因みに私自身、本クチコミ投稿直前まで、完全にこのエピソードを忘れていました)畠山重忠は、後妻である牧方の讒言を受けた北条時政(鎌倉初代執権・13人の一人)によりこの地で滅ぼされてしまいます。
実際に軍勢を率いたのは「13人」の主人公・北条義時でした。
義時は重忠を討った後に彼の無実に気づいたわけですが、時すでに遅し。
これをきっかけの一つとして、義時・政子による時政追放に繋がっていきます。
このあたりが大河ドラマで描かれる事は殆どありません。
実に楽しみです。
帷子川と二俣川の大きな合流地点にある捷水路トンネルの真上、狭いところにある。
近くには、首塚や首洗い井戸等もあるので、併せて訪れたい。
2021.02.06
ここ二俣川の古戦場は、畠山重忠公終焉の地で、鎌倉幕府の北条氏に、より撃ち敗れました。
嵐山町菅谷館から、ここまで、合戦にきました。
愛甲三郎秋季公の矢が当たり戦死しました。
鎌倉幕府悲運の武将、畠山重忠公没後750年を記念して、1955年(昭和30年)地元有志により建てらた。
鎌倉幕府の言い分により、生命を捧げた畠山重忠公の潔さに対しご冥福を祈りしました。
もっと大切にされても良いのではないか⁉って思ってしまった。
名前 |
畠山重忠公碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
045-954-6095 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
逆光だったのを考慮しても全く読むことが出来なかった。
戦後の建立ならば、もっと視認性が高くなる配慮が欲しかった。
裏の関係者一覧は普通に読めた。