麻生区の高石の南にある。
主祭神は天照大神で江戸時代の創建。
明治2(1869)年の一村一社により附近の三社が統合された。
橘樹郡(たちばなぐん)高石村→生田村→川崎市多摩区→麻生区と変遷するが、いずれの時代においても高石地区の鎮守様。
お伊勢の森ともいわれ、川崎市内で最も標高が高い場所のひとつ。
海抜130㍍程のお伊勢の森からは晴れた日は富士山を望める。
百合ヶ丘にて気になる神社があったので、来てみました。
駅から徒歩10分くらい。
急な坂を登る必要があります。
草木が豊かで、高石神社の本番の鳥居は…お店の看板みたいに明かりが付きますw石碑も沢山あり、駐車場も10台以上は停められそう。
藁で作った輪っかがありました。
説明などなかったので、何も出来なかった。
立派な神社でした。
高石神社境内左奥の見晴らし台から夕日を見るのが綺麗で良い。
この周辺の神社にしては大きな神社でとても立派な神社です。
手水舎はロープが張られていて出来ません。
人が居なくてゆっくりと参拝出来ました。
表の参道(鳥居の場所)がちょっと解りづらい。
坂登って見える鳥居は裏参道です。
何かあったら神頼み、子供の頃からお世話に!。
缶蹴りとかの遊び場。
住宅街抜けると、参道の階段が、
高い所にある。
高台にあって親しみやすい神社。
ダルマさんを買っています。
毎年訪れています。
静かですがとても風情のある神社です。
天気が良ければ、小さくですが富士山も見えます。
百合ヶ丘駅から北に坂を上っていくと、いや~疲れたって所にあります。
マイナスイオン溢れる厳かな神社です。
境内には昭和九年会の石の玉垣が寄進されています。
九年会とは昭和九年生まれのタレントなどの会で、藤村俊二、愛川欣也、森山周一郎、松平直樹、牧伸二、財津一郎などの名が石柱ひとつひとつに刻まれています。
本殿の裏に行くと、富士山、香林寺の五重の塔やよみうりランドの観覧車が見えます。
元旦から5日までは、社務所にて御朱印を頂けるという事でお詣りさせて頂きましたレアなだけに感激しています。
主祭神は天照大神で江戸時代の創建。
明治2年の一村一社により附近の三社が統合された。
橘樹郡高石村→生田村→川崎市高石地区の鎮守様。
お伊勢の森ともいわれている。
川崎市内で最も標高が高い場所のひとつ。
海抜130㍍ほどで晴れた日は富士山を望める。
お正月で引いた御神籤が、家族全員良くなかったので、来年は行かないです。
とても地元を愛しているのがわかる神社です。
夏のお祭りは子供も大人も盆踊りをします。
豆まきも大盛況です。
みんなから愛されています。
確か川崎市内で最も高所であり、初日の出の名所でもあります。
百合ヶ丘駅起点でもかなり距離があり、特に最短距離の場合は凄まじい急坂を上るため、高齢者や足腰の弱い方は車を利用すべきでしょう。
但し、駐車場は狭いので年末年始は大変混雑します。
境内からの見晴らしは樹木の伸びぶりの関係か以前より悪くなっていましたが、全体の佇まいは相変わらずの落ち着きです。
百合ヶ丘駅から坂を登る。
見晴らしがいい。
「若/銭/福」と書かれたカエル3体の石像。
手水舎の獅子は、口のストローのようなものから水が流れる。
合格祈願の五角形絵馬。
●(1月第2月)10~11時_立って行う流鏑馬。
いきなり弓を射るところからはじまる。
奉納後、参拝者も弓を射れ、当たると破魔矢がもらえる。
静かに初詣が出来ました。
Nice temple!
社がとにかく分厚い、立派で迫力あります。
鎮まる独特な雰囲気があり、何でかなと思うと、御祭神を見て、納得。
以下、神奈川県神社庁HPから転載。
御祭神、天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )応神天皇 ( おうじんてんのう )武甕槌命 ( たけみかずちのみこと )伊波比主命 ( いわいぬしのみこと )天児屋根命 ( あめのこやねのみこと )比売命 ( ひめのみこと )家都御子神 ( けつみこのかみ )速玉大神 ( はやたまのおおかみ )夫須美神 ( ふすみのかみ )御由緒、天照大神を主神として祀る。
往時は「伊勢宮」と称し、当社あるを以て境内一帯を「お伊勢の森」と呼ぶ。
大正11年、高石地区内に分散鎮座せる熊野社、御嶽社、春日社、富士浅間社、八幡社などを合祀遷宮し、更に稲荷、第六天の二小祠を左右に相殿とする。
社殿は二間半に三間の宮作りの覆屋であったものを大正11年、合祀遷宮に当り増改築し現在の拝殿、幣殿、神饌所、奥殿となり、それまで東向きであったものを南向きとする。
その後本殿は昭和50年に改築。
社務所は昭和55年、神楽殿を併設し改築す。
社殿創建は承応三年甲午二月二十一日。
加賀美金右ヱ門、とご神体の裏に記しあり、御光明天皇御在位、徳川幕府第四代将軍家綱時代にて今より凡そ三百二十六年前に当る。
因に地頭金右ヱ門が父加賀美才兵ヱ正光は甲州武田の一族にして天正十年、勝頼天目山の戦いに敗れて滅亡の後、当地に来り字「本村」に居を構えしが、同十六年、十六才の時東照宮に召出され、同十九年に至り高石地区内に一〇七石八斗余りの高を知行すべき由ご朱印を賜わり、猶「本村」に居住せしが、子金右ヱ門正吉の時、江戸に宅地を賜わる。
尚、当地にある高石山法雲寺は加賀美才兵ヱ正光の開基にて、萬松山潮音寺は加賀美金右ヱ門正吉の中興開基せるものなり。
麻生区の高石の南にある。
川崎市麻生区の高石神社に芭蕉の句碑がある。
雲の峰いくつくづれて月の山元禄2年(1689)〔奥の細道〕の旅で月山を訪れたときの句。
碑は平成元年(1989)に奥の細道300年を記念して建立されたもの。
高石神社には、高浜虚子の句碑(山国の蝶を荒しと思はずや)もあるらしいが、見落としてしまった。
一の鳥居を過ぎ、急な石段の途中に二の鳥居。
石段を登りきった所に、三の鳥居が在る。
拝殿、本殿と共にりっぱな構え。
境内も広く、本殿脇から遠くがよく見える。
駐車場の入り口に四番目の鳥居が在る。
名前 |
高石神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
044-954-2332 |
住所 |
|
関連サイト |
https://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=85&cd=1201085&scd=&npg=0 |
評価 |
4.0 |
車で来るには駐車場が少なく、周辺は道も狭いので徒歩が良いです。
しかし高い場所にあり、道筋もごちゃついています。
問い合わせは社務所のインターフォンで、出入りは三方から出来るようです。
令和5年の1月に、午前中には流鏑馬で午後は子供の剣道大会が行われました。
ただし馬はいなく、弓は体験できるようです。
詳細は地元の新聞社のホームページにも掲載されていました。
開会式の後は2人の名人らしき方が剣舞をしました。
その後、試合でした。
団体と個人戦があるようです。
団体は近くのお寺には幼稚園もあり、参加していたようです。
多くの寺社は附属な幼稚園や隣に公園があります。
寒い中、素足で試合をしていたので、頑張っていました。
観客も満員なほど多くいました。