東松島市の震災被害の全容を保存するための施設として...
宮城県にある旧野蒜駅。
3.11で破壊された当時の駅がそのまま残されています。
当時の被害がどれぐらいのものだったのかを後世に残すために保存されています。
この施設は、東日本大震災の津波によって壊滅的被害を受けた旧・野蒜駅を中心に、東松島市の震災被害の全容を保存するための施設として生まれ変わったんですね。
(現在の仙石線は、ここよりずっと内陸に付け替えられて運行されています)さて、伝承館の外壁には、この地点の津波浸水深=3.7mを表す看板が設置されていました。
自分の身長の約2倍の高さまで一気に押し寄せる、水の恐怖を想像すると、やはり圧倒されますね。
建物を通り抜けて裏手に出ると、当時のプラットフォームが保存されていました。
「この場所に確かに駅があったんだ」と、感慨深かったです。
敷地内は、もちろんがれきは撤去されていますが、線路その他の鉄道施設は当時のままだそうですよ。
どんな方々が行き交い、どんなドラマがあったのか・・・なんて、想像が膨らみますね。
伝承館の中の展示は、旧・野蒜駅や東松島市の震災被害を伝える展示が充実しています。
個人的には、シアタールームで上映されていた、2012年6月に収録された語り部さんのビデオが特に興味深かったですね。
見ている途中で涙が溢れて止まらなくなってしまいましたが、「あの日」を生き抜いた方だからこそ語れる言葉に、ものすごい衝撃と感銘を受けました。
ぜひ時間を取って、じっくりご覧になってください。
現在の野蒜駅から歩いて10分くらいのところにあります。
曲がった駅の看板、線路などがそのまま残っています。
当時の駅舎だった部分では資料が展示されています。
ホーム自体は柵で囲われていますが、駅舎の部分から入ることができます。
無料です。
ホームの上に乗ることはできませんが、ホームの周りをぐるっと一周できます。
資料室の方には当時の写真や新聞や映像、流された券売機などが展示されています。
旧野蒜駅の震災の遺構です。
宮城県道27号線沿いにあります。
駐車場は有りです。
遺構の手前には「東松島市震災復興伝承館」などもあり駅構内にあった備品や機械も飾られています。
自分は何も知らずにふと立ち寄りました。
駅の電車の乗降場や線路がそのまま残されていました。
最初見たときは、遺構を感じさせないような駅の乗降場でしたが、よく見てみると倒れかけた柱や剥がれかけた駅の看板などが生生しく残っていました。
伝承館も少し寄らせてもらいましたが、当時の駅の周りの悲惨な写真をみて、心にくるものがありました。
改めて被災の悲惨さを感じました。
これからも被災を風化させないためにもずっと残っていてほしい場所だと思いました。
旧仙石線の野蒜駅です。
現在は東松島市の震災復興伝承館になっています。
新しい駅舎は100メートルほど陸地の高台にあります。
昔はパイラ松島ユースホステルが近くにありましたが、全てなくなってしまいました。
旧野蒜駅ホームを見ることが出来ます。
但し、ホームに上がることは出来ません。
色々と考えさせる爪痕です…伝承館から入れます。
無料です。
震災を経験していない私は胸が熱くなり当時の被災された方の気持ちを思うと…是非立ち寄ってみてください。
東日本大震災で巨大津波に飲まれ無惨な姿に変わり果ててしまった野蒜駅を震災資料館に改築した建物です。
内部には泥で汚れ破壊された改札機も展示されていてあの頃の緊迫した状況、悲劇を伝えるのにとても重要な施設です。
被災した方の証言を映像に納めた当時の記憶も放映しています。
とても大切なお話が沢山ですがスクリーンに映し出される津波映像はかなりリアルでショッキングなので注意が必要です。
初めて東松島を訪問した方はまずここに足を運んでみると良いでしょう。
ちなみに現在の野蒜駅は、ここから3キロ程高台に存在しています。
東北旅で立ち寄った震災の記憶。
野蒜駅のホームが当時のまま保存されています。
ひしゃげたライトポールに駅名の看板。
壊れた券売機、震災の時刻をさして止まったままの時計。
動画では病院で奮闘した看護師さん、地区センターの所長さん、震災の語り部をしている地元の方の話などが知れます。
パネル写真で被災状況や復興までの歴史も学べます。
ひとつひとつ食い入るように見てしまいました。
大変な状況でも助け合いや思いやりが沢山あった事に感動を覚えました。
ホーム内には入れないので、沈下の様子などが見えにくい。
私はヒールの高い靴だと180cm前後になるので多少認識出来るが、子供や背の低い人はほとんど見えないと思う。
阪神淡路の遺構みたいに、その場に実際に立てる仕様だと(管理面の労力はあるかと思いますが)、状況をより実感することができます。
野蒜駅は東日本大震災の津波被害を受け、高台移転を余儀なくされました。
当時の駅舎、ホーム、線路が震災遺構となり、衝撃と被害を物語ります。
駅舎跡は、地域の観光情報や、被災の実際を伝える展示施設となっています。
震災後に訪れて以来10年振りに再訪。
当時の被害を風化させないように旧駅はそのまま残しながら伝承館ができました。
震災の大変さ、住民の皆さんの苦労、辛さを知ることが出来ます。
知ってあげることだけでも良いと思います。
皆さんも足を運びましょう。
震災遺構として永く保存してほしいです。
この駅で電車か大破していた当時の映像が思い出されます。
線路が曲がっており津波の破壊力を身をもって知る場所でしょ。
後世に伝える為にも是非とも残し続けたい施設です。
現在の駅は街ごと高台に移転している為、徒歩10分ぐらいの場所にあります。
震災遺構として後世に残すべき施設です。
東日本大震災で壊滅的被害を受けた事を思い出す。
津波で破損した箇所があるが、安全が確認され中に入る事ができる。
震災後の復興状況を色々と知る事が出来る施設で、有意義ですね。
震災後二度目の訪問。
一度目に来た時と比べて綺麗にリフォームされていた。
無料で施設を見られる。
東北を旅している道中、夕食に入ったお店の常連さんから教えてもらって、その翌日に訪れました。
当時の様子が生々しく残されていて、津波の恐ろしさがよく分かります。
ただ、訪れたときは旧野蒜駅跡周辺が区画整理中で、新しい野蒜駅からどうやって徒歩でアクセスしたら良いかが分かりにくく、ちょっと迷いました。
それも震災の影響を肌で感じた1コマになったのですが…。
震災遺構として残された旧野蒜駅。
山の上方向を見上げると路線変更され移転した新野蒜駅が微かにみえる。
各地で遺構の残し方について賛否があるものの、現状でなどと言うのは簡単だが維持管理にはお金も労力も相当掛かり、残されたものの数年後、数十年後をよく考えてから残すべき形を決めるべきであり、そう考えたときには、こちらの施設の残し方はスケールも有りようも良く考えた形なのかと関しました。
津波で被災したJR仙石線の旧野蒜駅。
いまは震災伝承館となって震災の爪痕を見ることが出来ます。
パネル展示や記録映画もあって一見の価値があります。
プラットホームは震災遺構として保存されています。
駅舎の1階は観光案内所やお土産の販売を、2階は震災伝承館になっています(見学無料)。
ホームの反対側は追悼公園に整備されています。
周りは何もありません(家が少し立っているくらい)あとは工事中とでもいいましょうか。
まるで大きな何かが襲ってきて、みんな怯えるようにここから逃げ去ってしまったような気がします。
そして一人、来ることのない電車を待っているのか、静かに佇んでいる駅舎が…
最近整備された新しくきれいな建物内に、震災に関するいろいろな資料が展示されている。
地元のお土産も販売している。
震災時に同じ路線に住んでいた。
震災前に一度、車で通過したことがあった。
施設は早く締まっていたので中に入れなかったことが残念。
震災前も後も何度か訪れたが、震災の影響と当時を伝える貴重な施設かと。
館内の掲示や野蒜駅だけでは伝わらないので、案内を頼むのが吉。
津波の悲惨さを感じます。
以前は改札前にお土産屋があり、タクシー乗り場があり、観光案内所がある観光地野蒜海岸の入口でした。
閑散とした光景になりました。
3.11以前は夏になると野蒜海岸を利用するお客さんで賑わっていました。
現在は500m内陸部に新しい野蒜駅が出来ました。
今は廃線と言うより内陸側に移動する前の野蒜駅。
ファミリーマートの壁には津波の高さが記してあります。
名前 |
野蒜駅跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
偶然通りがかりに見つけたのですが、現在綺麗に整理されていますが、震災時は電車がレールから流れ、たくさんの木々が打ち寄せたのが、展示物を見ることで知ることが出来ました。