昔の宿場町の街並みが残っています。
“芥川”は, 地名や城の名前として戦国時代の歴史に登場するので, ちょくちょく目にはしていましたが, これほど現在 “高槻” と呼ばれるエリアの中心地に当たる地域であるとは知らなかったので, かなり驚き認識を新たにしました。
西国街道巡りはかなり楽しめます。
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西国街道は、8世紀の山陽道の後身にあたり、約8.1kmにわたり市域を東西に貫いています。
京から大宰府に通じ、淀川とともに三島地域の政治・経済に大きな影響を及ぼしました。
現在の道筋は、14世紀ごろに固定化したとみられ、三好長慶や高山右近、さらには織田信長、豊臣秀吉らが駆け抜けた道です。
江戸時代には脇街道として「山崎通(やまざきみち)」と呼ばれ、京都・山崎と西宮間を結んで西国大名の参勤などに利用され、同時に京坂間の交通路として重要な役割を果たしました。
街道沿いには、一里塚が設けられ宿場が整えられていました。
一里塚とは、1里(約4km)ごとに街道の両脇に塚を築き、エノキを植えて、街道の路程の目印としたものです。
市域では梶原と芥川にありましたが、現在は旧芥川宿東口の東側だけに残り、府の史跡に指定されています。
芥川一里塚の祠のすぐ後ろにある榎の大木は、かつては左右にあったそうです。
現在は東側の一里塚が残っています。
この一里塚から西へ約400メートルほどのところに流れる河川、芥川までが、芥川宿です。
名前 |
芥川一里塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/jidai/edo/1327659007608.html |
評価 |
3.5 |
綺麗に整備された。