桜田門のすぐそばにあった米沢藩上杉家。
米沢藩上杉家江戸藩邸跡 / / .
桜田門の正面は、米沢藩上杉家上屋敷でした。
初代藩主上杉景勝は会津若松120万石を領した大大名だったが、関ヶ原の戦いの際に西軍に与し、出羽米沢30万石までに減封。
その後さらに15万石に減封されました。
米沢藩を立て直したのは、9代藩主上杉鷹山でした。
関ヶ原の戦いの後、上杉景勝は徳川家康によって出羽米沢30万石に移封されました。
1603年、桜田門外の地に建てられた上杉家の江戸屋敷は『桜田屋敷』と呼ばれ、幕末まで江戸藩邸として中心的な役割を果たしました。
桜田門のすぐそばにあった米沢藩上杉家。
霞ヶ関界隈で一際目立つ建物である法務省旧館赤レンガ、ここに米沢藩上杉家の江戸屋敷があった。
米沢藩上杉家跡地を示す記念碑がある。
警視庁の目の前に位置し、幕末には有名な「桜田門外の変」がすぐ目の前で起こっている。
逼迫する藩財政を倹約と特産品振興策などを行い、立て直し、名君と世界的にも名高い上杉鷹山、その藩財政改革の第一歩もここで案を練ったとされる。
他にも、米沢藩上杉家は、麻布台にあるロシア大使館前の総務省飯倉分館にもお屋敷があった。
名前 |
米沢藩上杉家江戸藩邸跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.8 |
上杉鷹山はここで滞在している中に17歳にして君主・米沢藩主となって財政復興計画を作り、既得権益が蝕む米沢藩へと向かった。