八重洲ダイビル横の歩道にあります。
碑の説明には『尾台榕堂(1799~1870)は幕末に活躍した寛保の名医。
越後魚沼郡中条村(現在新潟県十日町市中中条)の医師小杉家に出生。
名は元逸、字は士超、通称は良作、号は榕堂また敲雲。
16歳で江戸に出、尾台浅岳に医学を、亀田綾瀬に儒学を学ぶ。
36歳で師浅岳の家を継いで尾台姓を称し、65歳のとき将軍徳川家茂に単独拝謁。
この地(北槇町)に居住して医療活動を行い、当代屈指の名医として世に謳われた。
著書は類聚方広義・方伎雑誌ほか多数あり、現代医療の一班を担う日本漢方医学の基盤を築いた。
撰文 小曽戸 洋建立 平成23年10月29日(社)日本東洋医学会(財)日本漢方医学研究所東亜医学協会(社)日本医史学会温知会東京十日町会十日町市 』と書かれています。
江戸末期の漢方の大家なんですと。
東京駅八重洲口出て、徒歩2分の歩道にあります。
通り向かいは新生銀行です。
東京駅八重洲口からすぐ、路地の脇にあります。
尾台榕堂(1799~1870)は幕末に活躍した寛保の名医。
越後魚沼郡中条村(現在新潟県十日町市中中条)の医師小杉家に出生。
名は元逸、字は士超、通称は良作、号は榕堂また敲雲。
16歳で江戸に出、尾台浅岳に医学を、亀田綾瀬に儒学を学ぶ。
36歳で師浅岳の家を継いで尾台姓を称し、65歳のときに徳川家茂に単独拝謁。
この地(北槇町)に居住して医療活動を行い、当代屈指の名医として世に謳われた。
著書は類聚方広義・方伎雑誌ほか多数あり、現代医療の一班を担う日本漢方医学の基盤を築いた。
新しい碑です。
小さいです。
割りとすぐ見つけられます。
名前 |
尾台榕堂之碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
八重洲ダイビル横の歩道にあります。
表情が柔らかで、人柄がしのばれます。