洗濯機と電子レンジがある部屋に宿泊。
東横INN東京駅新大橋前 / / .
東京駅まで無料送迎バスが出ているので、東京観光で宿泊代を抑えたいけど朝食はつけたい、カプセルホテルはちょっと…、という場合には拠点として良いかも。
朝食は軽朝食だが、パン以外におにぎり、サラダ、味噌汁などもあり結構満たされる。
クロワッサンは焼き立てが提供されていて、なかなか美味しい。
部屋はいたって並のビジネスホテル。
エレベーター内にカメラが設置されていて、ロビーで待っていてもモニターで様子がわかるので、待ち合わせのとき楽なのと防犯上も気持ち安心。
高架下ということで、車の騒音が気にならないか心配していたが、そんなこともなく快適に寝れた。
安心安全お手頃価格のお馴染み東横インです。
東京駅とありますが東京駅が最寄りではないのでお気をつけて。
大きな道路が近いので、(屋内ではそこまで気になる程の騒音はありませんし静かですが、)もし音が気になる方は耳栓持参推奨です。
近くにコンビニはありますが、品揃え少なめなので買い物が必要な場合は他の場所で買って行くとよいです。
周辺は飲食店も少なめです。
この時泊まった日は最上階のお部屋でしたが、看板の青色の光が隣の建物に反射して部屋中青く光ってたのには笑ってしまった…なおこちらカーテンをきちんと閉めておけば問題ありません。
笑。
浜町駅から東南に少し歩いたところにあります。
まわりには、飲食店やコンビニなどは少ないこともあって、人通りはまばらです。
繁華街から少し離れているとはいえ、夜の就寝時などは、近くの高速道路の音が、結構気になったりします。
ホテル自体は新しくて快適だと思います。
部屋も値段の割には、広くて、過ごしやすい環境だと思います。
ただ、ベッドは、硬めなので、好き嫌いがあると思います。
また、構造的な問題だと思いますが、寝返りをうつとスプリングがキューキュー音をたてるので、やや気になります。
この値段で、軽い朝食が付くのは、お値打ち感もあると思います。
東京駅からは程遠いが、浜町駅からは近く便利だった。
部屋は首都高速がすぐ隣に走っており、近い部屋だと騒音が気になる。
しかしながら部屋はシングルの割には広く感じられ、価格も周辺よりかなりお値打ちだった。
フロントの接客も良かった。
朝食の種類は少ないわりに工夫が感じられる。
東京都中央区に立地していますが、比較的リーズナブルな価格で宿泊できます。
東京駅からシャトルバスも出ており便利です。
最寄り駅は都営地下鉄新宿線浜町駅で、浜町公園を抜けて徒歩5分程度です。
東横インではどのホテルでも同じですが、チェックイン時にカミソリなどの小物と寝巻きはフロントから持って上がる必要があります。
新聞は読売新聞で、必要な方は一緒に持って上がることができます。
朝ごはんは充実しており、美味しいです。
お茶漬けなどもあります。
難点はコンビニが、少し遠いことでしょうか。
駅と反対側の大通り沿いにファミリーマートがありますが、ホテルからは徒歩5分ほどかかります。
標準的な東横イン。
詳細は他の東横と変わらないので省略。
無料朝食ロビーが、フロントの目の前の小さなスペースのため、料理もパターンが少なめ。
そこ以外は東横の安心感ある快適な客室となっております。
追記:ただ、ほぼ真横を首都高が走っている場所のため、7階でしたがけっこう高速の走行音は響いてきました。
都営新宿線浜町駅から徒歩実質5~6分くらいかな。
シングルですが、ベッドも広くきれいな部屋です。
はじの部屋の窓の下に首都高速が走っていてひっきりなしに走行音がします。
寝れそうにもありません。
神経質な方は他の東横インに宿泊した方が賢明ですが、気にならない方はおすすめです❗
駅からは遠いので都営バスで行くか、東京駅からの無料送迎サービスを使用した方が良いです。
東京駅からの無料送迎サービスは1時間に2本、遅くまでやっており先着順とはありますが大概乗れます。
朝食は期待してはいけません。
食べ物がある程度に思っておいた方が良いです。
部屋は綺麗ですが、壁が薄いのか廊下の音は漏れます。
お値段が安くビジネスホテルの安定感あるので無難です。
洗濯機と電子レンジがある部屋に宿泊。
外に出ることなく利用できて非常に便利。
東京駅からは結構な距離がある様な気もするが…。
新大橋通りを挟んで南東側にアパホテルもあるが、こちらは日本橋浜町駅南と至って真っ当な名付けになっている。
「避難記念碑」中央区日本橋浜町二丁目57番地 新大橋際 碑銘:避難記念形状:大型の板状の石碑建立年月日:昭和8年9月2日避難記念碑と説明碑文大きな石碑の大震火災記念碑と、小さな石碑の説明碑文がある。
説明碑文による「お助け橋」のいわれ。
大正十二年(1923年)九月一日、突如として起こった関東大震災は随意所で火災を誘発し、そのため各所で橋が焼け落ち多数の痛ましい犠牲者をだした。
しかし幸いにも明治四十五年に建造された新大橋だけは火災からまぬがれ、逃げ惑う一万有余の尊い生命を救い、かつ、遮断された各方面への交通を一手に引き受けて、避難橋としての重責を十分に果たした。
そのため、新大橋は多くの人々から「人助け橋」と呼ばれ永く親しまれるようになった。
なお、当時久松警察署の新大橋西詰派出所に勤務する羽鳥源作、三村光、今給惣克巳、植木機禅、伊藤盛雄、浅見武雄ら各警察官は一致協力して多数の避難者を誘導し、さらに携行してきた荷物を橋詰で適切にさばいて人災の防止と避難路の確保のために活躍されたという。
一身を顧りみず沈着勇敢に行動されたその功績は、永く後世に称えられるべきものである。
新大橋避難記念碑貴族院議員正四位伯爵 有馬頼寧 篆額思い起こすだけでも鳥肌が立つほど恐ろしいのは大震火災の時の状況である。
時は大正23年9月1日、場所は新大橋の橋の上である。
火災を避けて来た数万の市民が九死に一生を得たのは神と人の力が一致したためではないであろうか。
この時、橋の両側より狂ったような紅蓮の炎と煙が刻一刻と迫り、進むも火、退くも火の状況で、身を河に投じようにも濁流に飲み込まれるだけであり、進退窮まった。
絶叫が満ちて、その惨状は目も当てられない状況であった。
この時市民は、橋の上に避難されていた水天宮や小網稲荷神社、玄冶店橘神社のご神体を伏して拝むとともに警察や在郷軍人その他有志の人々は着火しそうな荷物をことごとく河に捨てさした。
中には貴重な物であるので泣いて拒む人もいたが人の命には替えられない。
この素早い断固たる処置は的を射たものであった。
人事を尽くして天命を待っていたところ夜も明けて火も鎮まり、市民はやっと正気を取り戻して互いに生還したことを喜び合った。
また、五大橋の中でこの橋だけが災害から免れることが出来たのは神のご加護と人の力であった。
その後、法木徳兵衛が呼びかけ、森田恒一、加藤肆郎、庄野又兵衛が賛同して発起人となり、この橋の上で災いを免れた人々が集まり、大震火災新大橋避難記念会を組織した。
毎年当日水天宮にお参りし、橋の上に集まって当時を追想してきたが、本年は十周年になるので、思いで深い新大橋西側の一隅に碑を建て、建碑趣旨を刻み永久に記念とする。
昭和八年九月二日水天宮社掌 樋口悌次郎撰稲葉山?惣書。
ホテルに入った途端、何かの集団の騒ぎ声。
うるさくて相当不愉快だったが、フロントは見て見ぬふり。
特に謝罪も無し。
部屋に入ってしばらくすると、先程の輩(だとしか考えられない)の廊下の大きな会話の声が丸聞こえ。
さらに、ドアをガンガン叩く音も響く。
時間は12時をとっくに過ぎていた。
最悪であった。
名前 |
東横INN東京駅新大橋前 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3667-1045 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
地方在住者は、名前に騙されて東京駅の近くにあるんだろうなと思ってはいけない。
結構遠い。
隅田川のすぐ近くにある。
ホテルの近くには公園があり、ちょっと出かけるとくつろぐことができる。
近くにコンビニはないが、駅から歩いてくる途中には何件かあるので見つけたらそこに入った方が良いと思う。
東京駅までのシャトルバスが朝が出ている。
本数はそれほど多くないので確認が必要。