牛を飼って生活していた跡だそうです。
伊藤左千夫牧舎兼住居跡 / / .
跡地の説明書きの看板と石碑のみだったので。
以前にテレビで錦糸町辺りで牛を飼っていたとか言ってました。
実際にここに来て歴史に触れるとそうなんだと実感しました。
江戸時代には現在の東京東側は開拓されていなかったので、千葉は政府が人員を送って開拓しました。
ですから錦糸町辺りも牛がいたんですね。
錦糸町駅南口を出て左、東京メトロ半蔵門線への入り口そばにある。
伊藤左千夫が令和のいま、どれだけの読者を持っているかわからない。
けれど、『野菊の墓』は、「貧しい農民にも、細やかで人間らしい感情生活がある」という当たり前のこと(のように思えるが、明治時代になってもほとんど誰も気に留めなかった事実)を描いた、傑作だと思う。
文章も読みやすいので、ぜひどうぞ。
千葉県武射郡(現山武市)から出て、明治法律学校(現明治大学)を中退しているくらいだから、インテリである。
その彼が、いまの錦糸町の駅前に当たる地で、牧場を経営し、牛乳を売っていた。
ここはその跡地であり、歌碑も建てられている。
芥川龍之介の生家も牛乳屋だが(聖路加病院などのある、明石町のあたり)、東京にそんな牧場が広がっていたとは、どう想像力を働かせても、なかなかイメージを結ばない。
錦糸町を何年も利用している人でも、知らなかったりする。
伊藤佐千夫は小説「野菊の墓」が有名ですがアララギ派の歌人です。
この小説も俳誌「ホトトギス」誌上で発表されたものです。
ここは伊藤佐千夫の住居兼牧舎跡で石碑があります。
「牛飼(うしかい)が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる」 の歌は良く知られています。
伊藤佐千夫は正岡子規門下。
子規は俳句革新「ホトトギス」が有名ですが、短歌革新「アララギ」も行いました。
正岡子規の臨終の際には伊藤佐千夫もその枕頭に侍っておりました。
伊藤左千夫の牧舍と住居が、かつてこの辺りにあったそうです。
野菊の墓で有名な伊藤左千夫の牧舎があったそうです。
現在の景色からは想像しがたいのですが、明治22年というから今からわずか130年前のこと。
かつての酪農王国・東京の歴史の一端を伝えます。
錦糸町の駅前にこんな碑があるなんて、昔はのどかだったんだろう。
名前 |
伊藤左千夫牧舎兼住居跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.sumida.lg.jp/smph/faq/sisetu_info/sonotasisetu/1097.html |
評価 |
3.3 |
歌人として有名な伊藤左千夫がこの辺りで、牛を飼って生活していた跡だそうです。
今は、その面影はまったくありません。