御開帳の時に参拝させていただきました。
せっかく羽黒山に訪れたなら、立ち寄らなければあまりにもったいないスポットです。
決して大きくはないお堂の中は密教の神秘的な空気であふれています。
愛染明王、三宝荒神、荼枳尼天、宇賀神などの普段あまりお目にかかれない仏像や迫力の宇賀弁財天、大黒天、三山本地仏を拝むことができます。
仏像に興味のある方には、とくにオススメです。
贅沢な空間であること間違いありません。
授与所の方も親切で、また訪れたくなる場所です。
2019年9月14日(土)出羽三山ツアー2日目羽黒山三神合祭殿に祀られていたご本尊が神仏分離・廃仏毀釈で破壊されずに保存されている奇跡に感謝。
明治維新の後に新政府が行った天皇崇拝の偏った神道重視が、日本全国津々浦々の寺社を破壊するに至り、それに際して東北の地方においても他同様の破壊活動が行われた事実を痛切に感じさせられました。
明治の廃仏毀釈以前まで羽黒山三神合祭殿に祀られていた。
本尊・諸仏を祀る。
ご開帳時に参拝させてもらいましたが、神仏混合の出羽三山の歴史を深く感じれるばしょでした。
境内には江戸時代評判になったお竹さんを祀ったお竹大日のお堂もあります。
雪降って寒かったけど。
静かで空気が澄んでて気持ちがゆっくりしました、御堂がしまっていたため。
中は見れなかったのが残念、温かくなったらまたお参り行きたいです‼️
14世紀に建てられた黄金堂。
埋蔵金伝説は引き付けますな。
名前の由来も聞きたいところ。
仁王像の脇には草鞋が結わえてある。
羽黒山の修験道者になるためなのか、なった証拠なのか。
聞きこみ不足。
湯殿山は今でも素足での参拝と聞いている。
鳥海山も祓川で草鞋を履き替えて、俗世との縁を切って修行に望んだそうな。
木境神社だったっけか?いずれにせよ、験力を身につけるには相当な体力と強靭な精神力が必要。
超人だよ、道者の先達は。
羽黒山 正善院黄金堂は出羽十三佛霊場でもあります道路向かいの正善院本堂ではなく十三佛の不動明王は黄金堂です仁王門をくぐると 左に閻魔大王《南無閻魔大王》の旗は初めて見ました奥に黄金堂がありますが施錠中《入堂の方は参拝料300円》との事住職さんも来客中で忙しそうだったので外からお参りいたしました御朱印は住職さんより頂きました駐車場は仁王門横に4台位停めれます。
正善院黄金堂は、源頼朝が平泉の藤原氏を討つにあたり、勝利祈願のため寄進したと伝えられている寺です。
境内には黄金埋蔵の伝説が残っています。
名前 |
羽黒山正善院黄金堂 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0235-62-2380 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.5 |
小学生の頃、町内会の旅行で訪れたのが最初だと思う。
羽黒山が神仏混淆の時代、多くの寺院があったという。
ここはその伝統を受け継ぐ寺院の一つ、庄内三十三観音第一番正善院。
以前この辺りで行われた花まつりパレードに参加した記憶がある。
鎌倉から土肥次郎實平が羽黒修造の奉行として下向の際に建立と聞く。
實平は頼朝の信任厚く、鶴岡八幡宮造営にも寄与したらしい。
奥州藤原氏が滅び、鎌倉幕府が関東武士を送り込んだ後、俘囚の地位を特別視されなくなったとか。
頼朝の母由良御前は藤原南家の出、祖母の実家は熱田神宮社家の尾張氏。
三関を廃した南家の誉藤原是公や尾張氏と縁の深い葛城氏の神社が陸奥国にある事など母上から聴いていたにちがいない。
源頼朝が崇峻天皇の皇子、蜂子の墓を護る羽黒山に建立を命じたのだろう。
五重塔には今、頼朝に従った平氏(平家ではない)が信仰した妙見菩薩が置かれているという。
因みに、源頼朝、義家のy遺伝子は継体天皇、聖徳太子と同じD1a2a…と断定され、縄文系という。
中尊寺黄金堂に安置の奥州藤原氏のものはO1b2で、縄文系ではなかったらしい。