鶴岡市 加茂岩倉 |
ジャンルすべて |
名前 |
加茂神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
国道112号から北に上がる坂の途中の井戸から右に折れ、細い参道を上ると小さな祠が見える。
奥には社叢に相応しい高館山の杜が広がる。
ここが加茂の総鎮守だったのだろう。
坂の上には、豆まきで有名な日蓮宗妙定寺があるが、その先こそ本来の拝殿に違いない。
高館山が御神体(磐座)。
安倍氏によれば荒倉嶽には大国主命、八乙女に玉依姫命(賀茂別雷神の母)、加茂に別雷命(賀茂別雷神)を祀り神域としたと言う。
とすれば、安倍晴明に陰陽道のイロハを伝えた賀茂忠行など山城賀茂氏が住んでいたのだろう。
他に磯城(葛城)賀茂氏、吉備国賀茂氏が。
出雲王家の伝承(歴史)では、賀茂別雷命の祖父が出雲両王家の血を受け継ぐ磯城登美家の子孫加茂家の鴨建津乃身らしい。
神武天皇にも宗像家の姫との婚姻により出雲両王家の遺伝子が入っているようだ。
荒倉山と加茂神社を斜辺とする直角二等辺三角形を描くと残りの頂点に菱津火打崎がある。
そこからは王者の石棺と言われる長持形石棺(6C前?)が発見された。
賀茂氏と親戚関係にあった秦氏の文化も見え隠れする。
朝廷と蝦夷(殆どの縄文人や歴代天皇は日本固有のYAP遺伝子)が対峙した最前線庄内には館、冊ばかりかたくさんの証拠が(意図的?)隠されているようだ。
浄禅寺には北前船で財を成した商人達から寄進され坂越から船で運ばれた釣鐘がある。
因みに、坂越の大避神社には秦河勝が祀られ、坂越湾に浮かぶ生島には彼の墓がある。