五代将軍徳川綱吉の由来がある神社です。
駐車場あります。
小高い丘にあり階段合目が表示されてました。
富士山信仰の神社です。
国道122号沿いにありますご利益さん。
社務所で御朱印頂きました。
名前の通り富士山を信仰してミニチュア版登山の造り。
途中に芸大が両側にあります。
新しい由緒看板を2020,12,17に設置したそうです。
市街地のまっただなかに在るのに不思議と自然を感じます。
御祭神 木花佐久耶毘売命 外十柱境内末社 八幡宮 愛宕神社 織姫神社 清滝神社 日枝神社 小御嶽神社由緒当社創立の年月は詳らかでないですが、徳川幕府時代に代々の館林城主によって修復・営繕が行なわれ、広く住民の尊崇を集めました。
明治九年(1876)区内九ヶ村(羽附・赤生田・松原・谷越・新宿・小桑原・青柳・堀工・近藤)の郷社となりました。
明治四十三年(1910)本社境内の稲荷神社・大山祇神社・菅原神社、近藤村の菅原神社、松原村の厳島神社・長良神社・稲荷神社、新宿村の長良神社・神明宮・琴平神社・根本神社・相殿八坂神社、小桑原村の神明宮・稲荷神社・菅原神社・琴平神社・相殿大山祇神社・雷電神社を合祀しました。
古来より夫婦和合、結縁、安産、子育、及び酒造り、火鎮めの神として厚い信仰をうけ、特に初山祭に赤子の成長を祈願して額に御神印を押す行事は、当社独特の神事として広く伝承され、一般に浅間神社のペッタンコ祭と言われています。
(境内案内碑より)富士嶽神社の初山大祭(初山参り)富士浅間信仰に基づくもので、参拝に来た乳児の額に朱印を押し、健やかな成長を祈ります。
境内などで販売される「初山うちわ」を購入し、出産祝いのお返しとして親戚などに配る風習があります。
(「館林市歴史文化基本構想PDF」より)社殿が建つ丘は「小桑原古墳群の中核の前方後円墳」です。
その丘の正面に表参道、右側に裏参道の石段があります。
それぞれ石段を登った高さに応じて合目石が置かれていて、富士登山を連想させる構造となっています。
古墳最上部に建つ社殿は、拝殿横を通って本殿覆屋に回り込むことができ、窓から本殿の見事な彫刻を見ることが出来ます。
今年の初詣で行きました‼️
かわった神社、すこし淋しいかな⁉️
6月に初山まつりが行われます。
子供(乳児)を抱きかかえ石段を登り乳児の額にペタンと押してもらいます。
地元ではペッタンコまつりと言います。
子供の健やかな成長を願って来ます。
ここでも何をされるのか恐怖で泣き出すアクシデントも…。
因みにうちの子は大丈夫でした。
館林市駅からは少し歩く。
一の鳥居には「富士山」と書かれ、二の鳥居には「富士嶽神社」と書かれている。
富士塚の上に祠がある。
徳川吉宗と所縁があり、御朱印には葵の御紋の印が押されている。
社務所の方も愛想よく、色々なことを教えて頂きました。
五代将軍徳川綱吉の由来がある神社です。
富士山になったいて鳥居のところが1合目。
頂上まで登頂できます。
社務所に人がいれば御朱印をもらえます。
この日は、初山大祭二日目多分昨夜は賑わったであろう。
この日もペッタンこを押しに家族連れが、みえていた。
健康に育ちますようにと、何段も石段を登り、お社に行き着くと順番を待ち、額に判子押してもらうのに、何されるかと泣き叫ぶ子、僕もと、昔やったのよ。
と言われながらも一緒に押して貰う微笑ましい一場面見られた神官、優しい眼差しだった。
回路に沿いしたに降りると、お守りとか、受けられる場所があった。
広い境内にお囃子が鳴り響いていた。
館林市富士原町〔富士嶽神社〕に芭蕉句碑が建っている。
芭蕉翁 ひらひらとあくる扇や雲の峰 安政5年(1858)に建立された碑。
句は元禄7年(1694)大津の能太夫・本間主馬亭での吟。
本間主馬亭は滋賀県大津市京町の天孫神社付近にあったとされ、天孫神社の前には扇の形をした大きな芭蕉句碑がある。
(⇒大津市・天孫神社)
名前 |
富士嶽神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0276-73-9551 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.6 |
場所的には、国道122号線沿い(今では旧ワンツ-ツ-って言った方がいいのでしょうか?)。
かつては、神社を覆い隠すように、ネオンがけばけばしい~~バクラが前面に出ていましたよね。
しかしこの地、富士山信仰が大元で、富士山を神格化して、実は浅間大神をお祀りする浅間神社。
社殿が古墳上にあり、富士嶽神社古墳とも言われております。
資料上は「小桑原古墳群の前方後円墳」と呼ばれるようです。
ご祭神は「木野花佐久耶昆売命」ご利益は、夫婦和合、安産・子育て、酒造、火伏 とのこと。
高校の下校時(40年前です)、この前をよく通ってはいたのですが、きちんとお詣りするのは、じつは今回が初めて。
ゴメンナサイ!人為的に土を盛るのではなく、古墳の上に、あえて造立したという神社さんは新鮮ですよね。
結構高さがあり、年末年始はどうなってしまうのだろう?と変な心配をしてしまいました。
しかし我ら日本人もことですから、きちんと並んで、静々と階段を上がり、お参りをしているのでしょうね。
だってお参りでヒトがケガをした、とか聞きませんもの。
神前では、キチンと自分の行いをわきまえているということでしょうね。
古墳の頂上にある社殿への道は表参道と裏参道があり、それぞれ富士登山に見立てたような合目石が置かれています。
かの~~バクラがいなくなって、神域の全体が見通しやすくなりましたね。
神様も、きっと清々したと思っていらっしゃるのでしょうね。
あの状況って、一体何だったんだろう、と今さらながら思いますね。
そうそう、そう言えば~~バクラが全盛の時、そこで飲むと神社さんのご利益がある、なんて都市伝説がまことしやかに言われていたことを、思い出しました。
それとこの周囲の住宅さんのブロック塀に、なつかしいお店の広告看板を見つけました。
交通の激しい、ワンツーツーの歩道に佇んで、しばし見入ってしまいました。
少しだけタイムスリップ。