昔から長良神社があり「十八長良」と呼ばれているそう...
馴染みの場所。
この辺りの十八の村には、昔から長良神社があり「十八長良」と呼ばれているそうです。
その昔、瀬戸井の赤沼には大蛇が棲んでいました。
この沼の主のために、近くの村では人身御供として毎年、娘を差し出さねばなりませんでした。
その頃、弓の名手として知られた長良公が、都から桐生に下って来ました。
村人達は相談し、長良公に大蛇退治を頼むことにしました。
公は快諾し、早速沼に出向いて、現れた大蛇の両目を、得意の弓で射潰してしまいました。
それでも立ち向かってくるのを、刀を抜いて刺し殺し、十八に切り刻みました。
村人達は、そのうち頭を瀬戸井に埋め、あとは付近の村々に分けて埋め、それぞれに社を建てました。
この十八の社を大蛇退治の恩人にちなんで、長良神社と名づけたのだそうです(^_^ゞ
社格 郷社祭神 天照皇大神 藤原長良公創建 貞観年間 春日大社の末社。
社格 郷社祭神 天照皇大神 藤原長良公創建 貞観年間春日大社の末社。
名前 |
長良神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.2 |
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瀬戸井長良神社主祭神 天照皇大神御祭神 藤原長良公合祀神 誉田別命 菅原道真公 木花開耶姫命長良公とは、清和天皇の女御でありながら在原業平との恋愛で有名な高子の父親で、人臣初の摂政となり藤原北家繁栄の礎となった藤原良房の兄です。
温厚で人徳の高い人で、東国平治の為当地に下向していたとき、郷民にとても仁恵を施しました。
任期を終えて帰京後死去し、貞観十一年(869)大和の国春日神社の末社に列祀されました。
この時、長良公と同じく藤原北家の房前を祖とする赤井良遠が、佐貫荘長柄郷瀬戸井に、勅許を得て勧請したのが始まりと伝わり、佐貫荘宮付十二ヶ村の総鎮守となりました。
その後は、農・工・商・治水の守護神として、文明年間より分社するものが多く、邑楽郡長良社の本宮となりました。
(境内「由緒」碑より)「十八長良」由来藤原北家房前の子・真楯の孫・冬嗣の嫡男・長良について、千代田町にはこんな伝承があります。
赤岩の東隣、瀬戸井北の大沼に大蛇が棲んでいて、利根川に水を呑みに現れたり、ときどき娘を攫ったりして村人を苦しめていました。
「都から長良様という偉いお方が桐生にお出でになっていなさる」と、人伝てに聞いた里人は、長良に大蛇退治を頼みました。
長良は、御殿女中で弓の名手のおさよ殿に大蛇の両目を射させ、なおも抵抗する大蛇を刀で十八切りにし、頭を瀬戸井に、その他を近郷に分け与えました。
これに感激した里人は長良様を祀るようになりました。
「十八長良」の由来です。
推察するに、長良は天性温雅にして至仁の人なので、鎌足以来の功田の民の訴えを聞き届け、善政を施していたということであろうと思われます。
官位は権中納言、五十五歳で没。
後、陽成天皇の外祖として贈左大臣。
更に太政大臣を追贈されました。
(千代田町HP「郷土の偉人たち」より)