名前 |
諏訪神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
羽尾諏訪神社(はねおすわじんじゃ)御祭神 建御名方命 八坂刀売命由緒羽尾は、滑川右岸・市野川流域の低地・台地上に位置しています。
羽尾の地名は、粘土・赤土を示す「はに」の意で、当地の地質に由来しています。
「郡村誌」羽尾村の項に「色赤黒稲梁に適せず水利不便時々旱に苦しむ」と載り、旱のことは「風土記稿」に「市ノ川・滑川の水を引て用水とすれど、動もすれば皐損あり」とみえ、古くから水利・旱魃には苦労していました。
羽尾諏訪神社は、文明年間(1469~1487)の数年にわたる旱魃に際して、小林家の氏神諏訪神社に雨乞いの祈願をしたところ霊験あらたかに大雨が降り、以来村人の崇敬を得るようになりました。
文亀二壬戌年(1502)七月、村人の強い願望により、諏訪大社を勧請したのが羽尾諏訪神社の創祀です。
雨乞いの神でもあり、また養蚕繁昌の神として多くの信仰を集めました。
鎮座祭は金剛院声俊法師によって執り行われ、天和元年(1681)の棟札には「奉再建諏訪大明神一宇」「村内惣氏子安全」「金剛院祐円謹白」とみえ、「風土記稿」には「金剛院持」と載ることから、創建当時から一貫して金剛院が別当であったことが知られています。
明治初年の神仏分離令により、金剛院の管理下から離れ、大正二年(1913)に村内の琴平社を合祀、大正四年(1915)に愛宕御獄社を合祀しています。
現在の社殿は大正三年(1914)に再建されたものです。
羽尾諏訪神社には「竜神渡り」の伝説があります。
八月の例祭前夜に信濃の本社より竜神が渡御するので、中尾耕地に竜の通った跡が見られたといわれています。
(「境内案内板」及び「埼玉の神社」参照)