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由緒ある中世のお城跡✨近くに皇族も訪れた事がある自然観察公園もあるよ🎵この辺りは荒川沿いで気温が若干低いお陰で桜が都内より遅れて満開になるので時間差で二度お花見🌸出来ます✨
二の郭付近は藪だらけであまり城跡感は無いです。
二の郭の反対側には土塁があり草に埋もれた石碑っぽいものもありました。
もう少し整備して欲しいです。
中心部分に民家があるし、一見城跡らしくはないですが、よくよく見てみると…… 北側の桜土手(廃城になった江戸初期?)がなかったのだから好立地か?できれば、戦国時代の地形図などの説明が欲しい。
もちろん桜土手はないし、当時は荒川は流れていないが和田吉野川と市野川が雄飛航空川島ヘリポート辺りで合流し、横田薬師堂下湧水辺りで台地にぶつかり流れを変えていたなど… そうすれば、南側の尾根以外の崖に囲まれた自然の要害だったことが一目瞭然に。
また、水運と近くの鎌倉街道など交通の要衝であったことも。
以下に現地看板の説明書を。
埼玉県選定重要遺跡 石戸城跡昭和四十四年十月一日選定石戸城は別名「天神山城」ともいわれ、 十五世紀後半頃に築かれたと考えられている。
当時は、戦国大名が覇権を争う群雄割拠の時代であった。
城は上杉氏の家人・藤田八右衛門によって築城されたとされ、北上する北条氏の勢力に備えるため、岩付城から松山城、河越城を結ぶ防衛線の一部を担っていたと思われる。
永禄六年(一五六三)二月、北条・武田の連合軍が上杉方である松山城を包囲した際、雪の上越国境を越えて接軍に駆けつけてきた上杉輝虎(謙信)が、短期間ではあるが石戸城に逗留している。
その後は北条氏の支配を経て、徳川氏の関東入国以降、城としての役割を終えるようである。
現在では発掘調査などによって土塁や堀が良好に保存されていることが確認され、堅牢な城郭の姿が復元されつつある。
平成二十九年三月北本市教育委員会。
城跡であって、なにも残っていないのが残念です。
一夜堤と合わせて観光。
桜の時期はお勧め。
天神下公園の駐車場にバイクを停めて、城ケ谷堤を登って一夜堤方面へ歩いて行ったのですが、思えばそこが石土城跡の北側でした。
で自然公園内を散々歩いて城ケ谷堤に戻ってみると、確かに城塁に見えました。
案内板は縄張りの南端にあり、郭の中は住居が立ち、一の郭は道路で分断されています。
個々の郭や堀などを見ることは出来ませんが、湿地に面した要害であること、天神下公園から一の郭と四の郭が見えること、一夜堤など今でも湿地が残っており、おおよその縄張りとその堅固なことを想像して楽しむのが良いかと。
上杉方の城だったため、鉢形城の北条勢が攻めたそうですが、確かに苦労しそうです。
看板以外とくにみるところなし。
名前 |
石戸城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.kitamoto.saitama.jp/kanko/shop/1419505898308.html?cat=3 |
評価 |
3.2 |
怪談家ぁみさん、DJ響さんが訪れてますぁみさんのYou Tubeチャンネルの霊話で見られますよ。