新潟県に残る唯一の木造の塔があります。
とても手入れの行き届いた気持ちの良い所です。
本堂は綺麗な姿をしています。
園内は見る所が沢山有ります。
御朱印は書き置きです。
本堂内は撮影禁止です。
741年の聖武天皇の「国分寺建立の詔」により建立された天台宗の寺院。
創建当時の所在地は分かっておらず、現在の位置には1562年に上杉謙信公によって再興されたと伝えられ、江戸時代には幕府から厚い保護を受けていたとのこと。
本堂は1997年に再建されたもので、4尺の五体の仏像(五智如来)が並んで鎮座されております。
中に入らないとお顔を拝見することができません。
境内には、三重塔や経蔵、仁王門、芭蕉句碑、親鸞聖人の配所であった竹之内草庵などがあり有難さの極み。
居多神社に詣でた後、車で移動。
でも、歩いてもすぐの距離にあったのをお寺の駐車場に車を停めてから思い至った。
天平13年(741)聖武天皇の勅命により行基が開基した越後国分寺。
その後幾度となく災厄を重ね永禄5年(1562)に上杉謙信がこの地に真言宗の寺院として再興した。
江戸初期に謙信の甥俊海僧正が天台宗の国分寺として中興してから幕末まで寺領200石が徳川幕府より寄せられていた。
昭和63年1月に本堂、ご本尊を焼失したが平成9年10月に再建された。
ご本尊五智如来は大日如来の五つの智恵を現す小ぶりな五仏で本堂は無人ながら開いており誰でも参拝できるようになっていたが、ご朱印を希望する向きにと電話番号が記してある。
先に詣でていた方が連絡されたらしく、待っておられる感じだったのでその間ゆっくりと三重塔や山門を見学していた。
程なくして女性がお越しになられたので、先の方に便乗したようで恐縮しながらご朱印をお願いした。
この辺りは親鸞聖人とも縁のある(?)土地なので関連する史跡も多くある。
越後の国分寺は、実は正確な所在が分かっていないそうです。
ただしこの寺院は、450余年前に上杉謙信が再興したものだそうで、それだけでも由緒が余り有ります。
三重塔は150余年前の江戸期に建て直されたものだそうですが、20年かけて建立された素晴らしい造りの塔です。
現在の本堂は昭和63年の火災による消失の後、平成9年に再建されたまだ新しい建築物ですが、聖武天皇の命によって全国各地に建てられてた「国分寺」の一つ「越後国分寺」を継承する由緒あるお寺です。
境内には三重塔や親鸞聖人が滞在していたと伝わる竹之内草庵なども有ります。
クチコミを参考に居多神社の駐車場に車を停め、居多神社参拝後に五智国分寺へ向いました。
今シーズンは積雪が多く、だいぶとけたとは言え、除雪をしていない道は通れません。
駐車場に五智国分寺への道しるべがあり、雪道を進んだのですが、長靴を履かなければ歩けない様な雪道になり、引き返しました。
雪のあるシーズンの写真を見てください!
車を『居多神社』の駐車場に停め、神社参拝を済ませてから『越後国分寺』に向かいました。
道路から緩やかな坂道を上ると『鳥居』が在り、こちらが『居多神社』の『一の鳥居』でした。
そこから歩いて1~2分で『越後国分寺・山門』が在ります。
境内は落ち葉盛りの時期を迎え、情緒のある参道を歩きます。
『三重塔』や『如意輪観音堂』など見所も沢山。
静かな境内かと思いきや、小さな子供の合唱らしき歌声が聞こえてきました。
正体は『保育園』寺院経営の『保育園』は結構あちこちに在ります。
だって『税金が………』いえいえ、働く人の為に子供を預かってくれているんです。
これぞ仏のなせる技。
な~む~。
741年天平13年建立 なんと歴史あるお寺か境内には山門、三重塔、経堂、竹之内草庵、本堂があります親鸞上人坐像を安置している竹之内草庵にお詣りしたとき間違えてニ礼二拍手一礼してしまいました。
あわわ...
聖武天皇の詔によって建てられた越後の国分寺を継承し、上杉謙信によって再興されたと言われる歴史のある古刹。
親鸞聖人が越後国に流罪になった際、境内に草庵(竹之内草庵)を結んで住まったともいわれている。
昭和63年に本堂が焼失して当時の本尊、五智如来も焼失してしまったが、最近、本堂を再建し新たな五智如来が作られた。
焼失前の五智如来は天井につかんばかりの大きな仏像が本堂に五体並び壮観なものであった。
現在の本尊は、金箔の上に漆がかけられ平安調の雰囲気の仏像で、以前よりは小ぶりではあるが、5体並んだ姿は見ごたえがある。
平日の昼間に行きましたが、人もおらず静かに見ることができました。
敷地はそこそこ広いわりに見どころが三重櫓くらいしかないのが少しさみしいかなといった印象です。
近くに来た際は散歩がてら寄ってみてはいかがでしょうか。
御朱印をいただきにいきました。
不在時はTEL下さいとの張り紙があるが、なかなか繋がらない。
それもご縁。
昼食を食べて再び戻りTELしたら繋がり、無事『五智如来』の御朱印をいただきました。
ありがとうございました。
五智国分寺は、聖武天皇の詔によって建てられた越後国国分寺の後継寺院。
寺伝では、永禄5年(1562)に上杉謙信が再興したと伝えられています。
ちなみに国分寺の総本山は東大寺です。
国分寺の文字が入っていないので全然知りませんでした!本堂は、焼失したため平成9年(1997)に再建されたものです。
新しいですが、立派でとても厳かな佇まいでした。
堂内には、大日如来を中心に薬師如来・宝生如来・阿弥陀如来・釈迦如来の5体の五智如来像が本尊として安置されています。
すぐお傍で拝むことができました。
しかも撮影OK!御朱印(初穂料300円)もあります。
上越地方で唯一残っている三重塔。
塔の心礎を鎖で釣って心礎に固定しないという、江戸時代後期から現れる手法で建てられています。
慶応元年(1865)再建されたもので、新潟県指定文化財に指定されています。
経堂は、元禄6年(1693)に上棟された建物で、上越市内最古の建物とされています。
中には「鉄眼版一切経(仏教全集)」が納められています。
国分寺と言うから、もっと整備された寺院だと思って立ち寄ったが、ちょっと期待はずれだった。
入口の仁王門を修理していて、見られなかったせいもあるのか、その整備されなさが残念だった。
1200年前から、現在まで、五智国分寺(越後国分寺)がある由緒ある歴史のある寺。
五智如来、仁王像がある門をくぐると三重塔、親鸞聖人像、国分寺。
そんな中、如来像より、訪れる度に気になって仕方ない裏門にある一つの根から二本の枝分かれした木が、大木。
樹齢何年かと?門の塀の上に立っているんだが、土台である塀が壊れていて、いつ倒れるかと、通る度に気が気でわない。
パワースポット大木なので土台を治してくれないかと思う。
毎年5月5日こどもの日🎏に五智祭りで、神輿や、夜祭「鯛釣り舞」行い、町一帯が賑わう。
五体の如来像から五智国分寺とも呼ばれています。
境内には本堂・三重塔・経堂・白山神社社神輿殿・山門・竹之内草庵・芭蕉区碑があります。
三重塔の各面には十二支・十二孝の彫刻があります。
直江津駅から歩けなくはないけれど、一キロ半ほど。
新潟県観光協会のウェブサイトでは、バスがあると書いてあるが、当てにしない方がいい。
駅前でいつでも待機しているタクシーが楽です。
永禄5(1562)年に上杉謙信によって移築・再興されたとのことだが、多くの国分寺の例に漏れず、オリジナルの越後国分寺がどこにあったかは不明。
本堂は平成9年の再建、新潟県指定文化財である見事な三重塔は慶応元(1865)年の上棟とのこと(未完なのだというが、素人目にはよくわからなかった)。
いずれも何度も火災による焼失を経ている。
ご本尊は、大日・薬師・宝生・阿弥陀・釈迦の五如来なので、「五智国分寺」である。
一帯の町名は寺の名からついた。
タクシーの運転手さんによると、このあたりが直江津の中でも高級住宅街である由。
落ち着いたよい風情であった。
松尾芭蕉が上越市を訪ねたとき雨に降りこめられたようだ。
私が、到着したときも〔土砂降り〕の雨。
〔五智国分寺〕には芭蕉句碑が2基ある。
1基は 古池や蛙飛込む水の音もう1基は 薬欄にいつれの花をくさ枕 元禄2年7月8日(旧暦)、高田(上越市)の医師・細川春庵宅での句会で詠まれた句。
〔奥の細道〕の紀行文には出てこないが、句碑は文化13年(1816)に建立されている。
〔薬欄〕は薬草園のこと。
奈良時代、聖武天皇の詔によって国家鎮護の目的で建立された国分寺を継承する由緒ある寺。
上杉謙信公が中興し、現在の位地に移転されたと言われています。
境内は広く、本堂、三重塔、経蔵、山門、そして親鸞聖人が越後流罪で7年間を過ごしたゆかりの庵もあります。
名前 |
五智国分寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
025-543-3069 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
越後の国府として繁栄した往時を偲ばせる寺院です。
参拝者が多いわけではないので、ゆっくり見学できます。