三寶大荒神社、歴史深い神秘。
三寳大荒神社の特徴
三宝荒神(さんぽうこうじん)は、歴史深い神社のシンボルです。
斎火火産霊神や稚産霊大神が御祭神として祀られています。
善行者に助力し、悪行者には罰を与える両義性を持つ神です。
三寶大荒神社(さんぽうだいこうじんじゃ)御祭神 斎火火産霊神 奥津日子神 奥津比売神 建速須佐之男命 稚産霊大神御本尊 三宝荒神(さんぽうこうじん)歴史・沿革古くより尊崇される「荒神さま」の正称は「三宝荒神(さんぽうこうじん)」で、三宝すなわち「仏・法・僧」を守護し、善行者には助力する福徳神となり、悪行の者には荒ぶる神となって罰する両義性を有しています。
荒神さまは不浄を忌み清浄にのみ棲し、不浄には一切を焼き払い清浄化させる威力と任務を神仏界より与えられており、民間で最も清浄な場所とされるカマドの守護神として祭祀されるようになって「荒神信仰」が広く定着しました。
本尊は江戸時代中期の宝永七年(1710)十一月に造立されました。
像容は三面九眼八臂の焔髪、身色深紅の分怒の姿となり、祭祀の形態は秘仏形式です。
しかし三面六臂像の前立仏は、髪際・仏相・裳裾などに古式の特徴があり、宝永以前から本尊として祭祀されていたと考えられます。
現社地は前殿跡で、旧本殿は直立の石階百四十一段を登った荒神山中に祀られ、末社の稲荷・熊野社の旧地は山頂に祀られていました。
別当は天台宗神恵寺でしたが、江戸時代後期の天保十四年(1843)に焼失して以降は火産系祭神を奉招奉座しました。
八坂・生産系祭神は明治期の奉座です。
当社威徳の異聞は枚挙にいとまがないですが、中でも桐生地方で史上最大の火災として著名な天保十四年(1843)三月の「荒神大火」の際、烈風猛火の中、厨子とともに本尊が石階を下って安全な田の中に損傷もなく動座されたといいます。
これに助力した者はなく荒神自らの動座が判明し、有難くも奇異なる威力と伝えられています。
(由緒書より)
名前 |
三寳大荒神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0277-22-0637 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
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風情のある神社でした。