建物を壊されないように屋外に設置しました。
この辺りは夏季には雷が多いので雷様を鎮める祈願の神社です。
社は小ぢんまり、境内も広くは無いですが、イチョウの大木に松、自然石で築いた塚の頂きにも神様が祀ってあります。
上州の名物と言えば、冬はからっ風ですが、夏は雷だそうで、この近くの利根川岸には、上野國八之宮 火雷神社という雷の神様を祀った式内小社の古社もあります。
伊勢崎市中町に鎮座している当社は、街道沿いと言うこともあり、この辺りを車で通るたびに目立って気になっていた神社です。
境内は新旧の日光例幣使街道が交わる三叉路にあることからも神聖視された場所だと考えられ、と資料にありますが、車が運転を誤って突っ込んでしまうのではないかと心配になります。
参道右側には浅間山大噴火溶岩で形成された小丘(塚)があり、頂上に石祠が建立されている事から古くから自然崇拝的な信仰があったのかも知れません。
拝殿正面の左右の壁には龍が浮き彫りにされています。
資料によると、創建は平安時代初期の大同2年(807)、干ばつが続いていたこの地に真言宗の開祖である弘法大師空海が訪れ雨乞い祈願を念じたところ、急に雨が降りだしたことから霊地とされ社殿が建立されたそうです。
赤保護箱に守られた賽銭箱は、建物を壊されないように屋外に設置しました。
寄贈、小暮勝男(赤保護箱の設計、製作施工)31.03.30の雷電神社の桜31.04.01新元号(令和)発表前の桜。
当社は順徳天皇の建保六年(1215)三月二十五日に、赤石城主(伊勢崎)三浦之介義澄が創建したと伝えられる。
上野国神名帳に「従四位上高於神(たかおかみ)明神」と記されるのが当社である。
後醍醐天皇の元弘三年(1333)三月、新田三衛門佐義貞が鎌倉追討の際に社殿を修理し、戦勝祈願祭を行った。
正親町(おおぎまち)天皇の永禄三年(1560)には、赤石左衛門尉・同又次郎の領有となるや領土の安全を祈り、祭供料と神領を寄進した。
明正(めいしょう)天皇の寛永十四年(1637)、伊勢崎城主河内守忠行は社殿を修覆し祭米を奉り、霊元(れいげん)天皇の延宝九年(1681)には酒井下野守忠寛が領主となるや社殿を修理した。
また後桜町天皇の明和四年(1767)にいたり、酒井駿河守忠温が社殿を修覆して祈雨の祭典を行った。
このように江戸時代にあっては領主酒井家の崇敬とくに篤く、累世修理や祭米・奉幣を得てきたが、明治維新後は郷土の鎮守神として氏子の尊崇するところとなり、明治四年には村社に列せられ、同四十年には境内諸末社を合祀して今日に至る。
( ↑ 引用させて頂きました)
御祭神 大雷命由緒大同二年(807)から翌年の日照りに困っていたところ、弘法大師がこの地を訪れ、雨乞いを行ったところ豪雨となりました。
雨乞いの地にこの神社を建てたといいます。
(からっかぜ吾町の神社より)傳曰當社は往昔大雷命を奉祀、社殿を富町字北川原(現在の今井町)に創建し、毎年九月十五日祭典執行し一般の崇敬厚く神威之昭々たる世人之知る處也。
其後社殿之遠隔之地故崇敬之實得難く、神威を懼れ、仁孝天皇之御宇文政三年(1820)九月現今之地に奉遷し、爾来信徒之崇敬益々厚く毎年二月九月爾度祭典執行す。
明治四拾年(1907)二月群馬縣訓令甲第九號に依り信徒協議之上明治四拾三年五月拾日、土地五段十畝三歩を寄付し、以て當社永遠維持之方法を設定したる所以なり。
(社号標石裏の由緒書より)
当社は順徳天皇の建保六年(1215)三月二十五日に、赤石城主(伊勢崎)三浦之介義澄が創建したと伝えられる。
上野国神名帳に「従四位上高於神(たかおかみ)明神」と記されるのが当社である。
後醍醐天皇の元弘三年(1333)三月、新田三衛門佐義貞が鎌倉追討の際に社殿を修理し、戦勝祈願祭を行った。
正親町(おおぎまち)天皇の永禄三年(1560)には、赤石左衛門尉・同又次郎の領有となるや領土の安全を祈り、祭供料と神領を寄進した。
明正(めいしょう)天皇の寛永十四年(1637)、伊勢崎城主河内守忠行は社殿を修覆し祭米を奉り、霊元(れいげん)天皇の延宝九年(1681)には酒井下野守忠寛が領主となるや社殿を修理した。
また後桜町天皇の明和四年(1767)にいたり、酒井駿河守忠温が社殿を修覆して祈雨の祭典を行った。
このように江戸時代にあっては領主酒井家の崇敬とくに篤く、累世修理や祭米・奉幣を得てきたが、明治維新後は郷土の鎮守神として氏子の尊崇するところとなり、明治四年には村社に列せられ、同四十年には境内諸末社を合祀して今日に至る。
( ↑ 引用させて頂きました)
なんか、ピコンピコンなります。
なんか、ピコンピコンなります。
名前 |
雷電神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.3 |
周辺のオススメ

群馬県に「雷電神社」と名のつく神社は約15~16社(以上?)ある💦(モットアルカモネ( ᴖ ·̫ ᴖ ))その中の(伊勢崎市中町)雷電神社に浅間山が大噴火した「天明3年(1783)240年前」際の溶岩が小丘にして祀られている。
浅間山から直接で約60kmの位置で、噴火時は半径200km'を超えた(風向きの範囲で)範囲であったらしい😵( Ꙭ ).ᐟ.ᐟその溶岩で形成された小丘を写真📸動画🎥撮ってきた。
溶岩の一つ一つがかなり大きく当時の災害の規模に改めて驚かされました。
2023.02.20(月)※私のコーナーへは名前をタップ🧏🏻Wタップで拡大します(*^^*)