この神社の彫刻を見るために訪れました。
勝山神社 (伊勢崎市) / / / .
この神社の彫刻を見るために訪れました。
彫刻師は弥勒寺音次郎で、冠稲荷神社の聖天宮や平塚赤城神社本殿、息子の音八と共に笠間稲荷神社本殿の造営にも関与している。
息子の音八は、その笠間稲荷神社本殿の造営中に宮中に召され、皇居賢所の彫物棟梁として表玄関正面の「菊花紋」を彫刻している。
そんな名工の作品なのだが、実際に見れるのは拝殿向拝の部分のみ。
それでも、間近で見学できるのは貴重なこと。
どうやら中に納められている本殿も音次郎の様で、例祭日に解放されて見学できるようだ。
いつか間近で見てみたい!
伊勢崎市内にある素晴らしい神社⛩️です❤️
初詣に行く場所ですねぇ。
毎年甘酒とみかんと神社歴は頂いて来ます。
春は、神社の桜がとても綺麗です。
主祭神 速須佐之男命合祀神 倉稲魂命 誉田別命 菊理姫命 大日孁命 建御名方命 大物主命 少彦名命由緒元明天皇の御代の和銅年間(708~715)、皇子の大政官事一品穂積親王が東征のときに当地に駐連し、皇子が常に尊崇していた天祖天照大御神と素盞鳴命を奉祀し、東征成就を祈願されたという。
その跡に郷民が相談して社殿を造営し、二柱の大神を勝山大明神と崇め祭ったのが、当社の起源とされている。
上野国神名帳に、「従四位穂積明神」と記されるのが当社である。
もとはこの地を穂積と言ったが、後陽成天皇の御代の天正18年(1590)に保泉村と改め、明治10年には村社に列せられた。
同40年6月6日、村内に祭られていた、倉稲魂命・誉田別命・菊理姫命・建御名方命・大日孁命・大物主命・少彦名命を合祀し、今日に至る。
社前にある唐金(からかね)の鳥居は、明和6年(1769)に奉納されたもので、「保泉には過ぎたるものが二つある。
唐金の鳥居に四九郎先生(鈴木広川)」と唄に歌われている。
また、現在の拝殿は天保年間(1830~1844)に、名工弥勒寺音次郎が造立したものである。
格天井(ごうてんじょう)の絵画は、金井烏洲の名筆で、社務所の絵画は天田熊郊の名筆である。
現在は、御祭神と社名にちなんだ厄除け・必勝祈願に信仰されている。
幕末の著名な絵師、金井烏洲の天井絵があります。
年に数回公開されています。
佐野天明鋳物の青銅製鳥居は必見。
社殿の彫刻はこれまた有名な弥勒寺氏によるもの。
この辺りの地名は保泉(ほづみ)となっており、この勝山神社も古くは穂積明神と呼ばれていたそうです。
遠く和銅年間の頃、元明天皇の皇子である穂積親王が東征の折り、戦勝を祈って、この地に天照大御神とスサノオノミコトを祀ったのが、このお宮の始まりとされているそうです。
いまは新しい団地になっている保泉ニュータウンも、その名は穂積親王に由来するのだそうです(*^^*)
名前 |
勝山神社 (伊勢崎市) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
交差点に面した神社です。
正面は、ニノ鳥居まであり、他に2箇所の出入り口もあり、それぞれに鳥居があります。
境内は整備されていました。