声をかけてみると、親切に対応してくださり、御朱印を...
地域密着のこじんまりとした神社で初詣させていただきました神主さんのご祈祷もあり、何か今年は良い事がある様な気にさせてもらいました来年もココで初詣しよう(笑)
神社内の、小岩に川の模様ドット\u0026レイン 雨乞い信心また、小岩にケルトのガラム神(V字カット)が刻まれています。
祭祀方向は、橿原神宮を向いてますが、小生には解りません。
やはり、古の神社です。
川向の平隆寺にも、興味ある岩があります。
是非とも鑑賞願います。
奈良、JR王寺駅から徒歩10分ぐらい。
大阪、近鉄恩智駅からだと、徒歩4時間ぐらいだったかな?!(笑)無料駐車場、3台ほど停めるとこ有り。
ただし周囲は、住宅街で道は狭いので、駐車場がいっぱいのときは、諦めて駅前のコインパーキングとかに停めましょう。
迷惑駐車は、ヤメテね。
大和川の境内は、広く、鎮守の樹木がこんもりしてて、目に付く神社。
これといった見どころがあるわけでも無いですが、キレイに保たれて地元に愛されてる雰囲気が溢れる神社でした。
お近くにお寄りの際は、参詣されてみては?!狛犬が、なにやら愛らしい姿でした(笑)
扁額にある「徳維馨(とくこれかおる)」の意味が解らず調べてみました 仁徳天皇が夕暮れ時に多くの民の竈(かまど)から煙が上がっているのを見て、凶作に当たって、自らの行った租税を免ずる善政効果を納得されたという話があるそうです。
徳とは為政者(いせいしゃ:政治を行う人のことを指す)の徳のある政治のことで、徳維の維は徳と下の馨(かおる)という漢字を強調する言葉で、馨とは、心地よい笛の音が広く響き渡ったり、竈で黍(キビ)を調理するときにでる香ばしい良い香りが広く漂っていくような様子を表すそうです。
りーべる王寺自治会より引用。
兄の店舗の氏神様であり宮司様には、常日頃より何かとお世話になっておりそのお礼参りとして参拝の機会を頂きました。
作業中にも関わらず、御朱印拝受の際には快く応じて下さり宮司ご夫妻のお人柄に気持ち良く参詣させて頂けました😊御朱印も、無料にて奉仕下さり本当に感謝です。
※300円を、賽銭箱に奉納させてもらいました。
式内社であり、王寺町の氏神様でもありもっと知られても不思議ではない神社さんだと思います😄
住宅地の中にある神社にて、少し分かりにくい所ですが、お社が立派な神社でした御朱印も頂けますが、神主様の方針でしょうか?お金は頂かないという方針の様です清掃奉仕のボランティアもおられました。
初詣⛩に参りました。
甘酒🍶をいただきました。
よく整備されたきれいな神社☺地元の方々で賑わっていました。
訪れた時、例大祭の準備なのか、社務所に氏子さんたちが集まってみえて、声をかけてみると、親切に対応してくださり、御朱印を拝受。
いろいろとお世話になり、恐縮しきりで、その節はありがとうございました。
神名帳の大和國平群郡の項に記載のある式内社。
現在の御祭神は品陀和気命、配祀として天児屋根命、底筒男命、久度神を祀る。
当社は京都の平野神社に祀られる久度神(+古開神?)の元社である。
延喜式神名帳には一座となっているので、当社の元々の神は久度神一柱なのだろうが、現在の主祭神は品陀和気命となっていて、久度神は配祀神の扱いとなっている。
こうなってしまった理由は、久度神が当社から平城京遷都とともに平野神社に祀られるようになって、衰退してしまい、本来の祭神が失われて、逆に京都の平野神社から勧請されたため、といわれている。
・平野神社は和氏出身の高野新笠による創祀と考えられるが、その父の和乙継の墓も当地にあり、この地は和氏の支配下にあったのだろう。
久度神社も和氏の崇敬する神社であり、平城京ができた際に、久度神社の神を勧請して平野神社ができたのだろう。
・当社の祭祀氏族について、物部氏系の久努(くど)氏ではないか、あるいは土師氏とする説もある。
しかし、平野神社の成立から考えると、やはり和氏なのではないだろうか。
・当社の北側には大和川が流れていて、川の流路は変わっているのだろうが、いずれにしても大和川の近くにあった神社。
とても身近な神社です。
素朴なところです。
かまどの神さまをお祀りされている 神社。
古いらしく おちついたたたずまい。
間伐材の まきの処分に困っていると 聞いた。
清荒神と縁が確かおくどさんをお祀りしていると認識しておりますが兵庫県に行かなくても我が街それも花山地区に由緒ある自慢の神社です。
拝殿と本殿の間に射し込む光芒が、幻想的な雰囲気を醸し出していて、思わずうっとりします。
この神社ならではの魅力だと思います。
御朱印は北側の宮司さん宅で頂けます。
大変丁寧な対応に感激しました。
御朱印代は0円でしたが、神職さん曰く「次回の参拝時にお賽銭して頂ければ」とのことでした。
決して無料ではありませんのでご注意を。
私は御朱印を頂いた帰り際、拝殿のお賽銭箱へ「お気持ち」を納めさせて頂きました。
久度神社くどじんじゃt奈良県北葛城郡王寺町久度4丁目9-9祭神t品陀和気命(ほんだわけのみこと)天児屋根命(あめのこやねのみこと)底筒男命(そこつつのおのみこと)久度神(くどのかみ)社名から言って久度神(くどのかみ)が本来の祭神でしょう竃u003cかまどu003eの神です。
境内がきれい。
朱印戴きました。
無料でした。
初。
久度神社は延喜式内の古社で、その創始の年代は古く、奈良町以前のものであり、第50代桓武天皇の延暦2年には特に官社に列せられ、従五位下という神位を賜ったことが続日本紀に載っています。
その後毎年朝廷から幣帛を捧げられ、官祭に預かっていましたが、延暦13年の平安遷都に際し、久度の神をはじめ平素から信仰のあつかった二・三の神々を皇居の近くに移されて、新しく建てられたのが、京都の平野神社であり、その第二座が久度の神であります。
その後約一二〇〇年の間、当久度神社は八幡大神等をお祀りし、氏神として時により多少の興廃はありましたが昭和17年梶原神宮の古殿をもらって拝殿・瑞垣・中門等の造営によって面目を一新し、また昭和43年4月10日には平野神社からはるばる久度の神をお迎えし、44年4月10日本殿造営完工によって基の神御座である久度の社にお祀りできましたことはこの古い由緒とともに郷土の誇りであります。
式内社 久渡神社主祭神 久渡神 鎮座地 王寺町久渡主祭神・久渡神は平安遷都時創建された、京都・平野神社の祭神の内の一柱され、竃(カマド)を司る宮中の内膳司の神とか、桓武天皇の母方との関係を指摘するのが通説的理解です。
私は、聊か暴論ですが竃は竃でも、たたら製法・金属加工の竈ではないか?と考えてみたいです。
1. 大和川の対岸・龍田大社の鎮座地辺りの勢野(セヤ)は、神武天皇の妃の母親・勢夜陀多良比売(セヤタタラヒメ)が住んでいたとする吉田東伍博士の見解。
2. 龍田大社から大阪・柏原の青谷へ続く龍田路沿線には金属神を祀る金山彦神社・金山姫神社が鎮座していて、周辺には鉄滓が今も出土する。
3. 信貴山西麓柏原市大県遺跡は鍛冶技術集団の遺構と考えられている。
2.との関連で韓半島から運び込まれた鉄挺や大和盆地で採れた水酸化鉄を加工していたと考えられる。
4. 上牧町辺りの葛下郡は、桜井周辺と共に古墳時代前期という奈良盆地で最も早い時期に属する鍛冶遺構が出土している。
5. 4.との関連で久渡神社はもともとは広瀬郡(河合町・広陵町)から葛下郡辺りにあったとされ、上牧町に久渡古墳郡、銅鐸出土地があったことが指摘できる。
(だから上牧町にこの古墳群と銅鐸出土地しか古代遺跡がないことが訝しい)
静かでキレイな神社です。
名前 |
久度神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0745-72-3553 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=5810 |
評価 |
4.3 |
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住宅街の中にある神社たまたま見つけたが、ちょうど紅葉が綺麗で人も少なくよかった。