群大名誉教授 尾崎先生が発掘しました。
この登り窯がこの位置(地形)にある事が重要なポイントです。
西側に庚申山、南側に土師神社の丘、北側には根岸へと続く(高台)。
開けているのがただの東側の神流川方面だけです。
東側からの吹く風が丁度この登り窯の火を煽り窯の奥に置かれた埴輪を上手に焼く最高の場所だったと思います。
見学に行った時は是非とも地形も参考にしてみて下さい。
古墳巡りの〆に是非!
土手堤に一筋の溝。
国指定の史跡ですが、その価値が、いまいち判らないのが下じもの正直なところ。
前方の神流川の堤が伸びる広々した景観は、いい。
古墳・埴輪に興味がある人だと最高の場所です。
周辺に本郷・小林古墳群も広がっています。
埴輪窯跡の裏から前方後円墳が見つかり、そこからは小さい子どもが葬られた埴輪棺も見つかっています。
(国指定史跡)藤岡市本郷のこのあたりは、『和名抄』の「土師郷」に比定される土地であり、当所の南200mほどの位置に、野見宿禰(のみのすくね)を祭神とする「土師神社」が鎮座していることから、当地に野見宿禰を祖とする土師部の集団が居住していたと考えられているそうです。
昔の埴輪の釜跡です。
私が訪れた時は残念ながらカギが、掛かっていて中には入れませんでした。
行ったことナインすけど…投稿してみたよ。
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群大名誉教授 尾崎先生が発掘しました。
遺物は土師神社の神楽殿の下にあります。
この窯跡は、土器を焼く技術を持っていた部族である土師部(はじべ)の使っていたものだそうです。
土師は埴師(はにし)とも呼ばれ、この窯では、馬や戦士、家など様々な形の埴輪が、大量に焼かれていたといいます。
すぐ近くには土師(はじ)神社もあります。
埴輪の考案者は、相撲の元祖でもある野見宿禰(のみのすくね)であると伝えられています。
垂仁天皇の皇后が亡くなった時、彼は殉死者の代わりに、土を焼いて造った人物や馬を埋葬することを言上しました。
これが埴輪の始まりであると、日本書紀には書かれています。
野見宿禰の子孫が、土師部という技術者集団として、代々にわたり、埴輪や土師器(はじき)の生産に携わったといいます(^_^ゞ
国指定史跡社のように見えるのは窯跡保護のための建物と思われる中に登り窯のような跡があるがガラスの反射で見辛いもう少し見やすくする工夫をしてもらいたい。
名前 |
本郷埴輪窯跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.4 |
古墳時代の埴輪を焼いた登り釡の遺構でとても大切な歴史遺産です。
埴輪、瓦と藤岡の地域の文化遺産ですね。