商売繁盛の神様が祭られている様です。
しだれ桜が社殿に有ります綺麗に咲いてました五穀豊穣、商売繁盛の神様が祭られている様です。
この地域の氏神様ですね。
御祭神 倉稲魂命 火産霊命 菅原道真公由緒当地域は亀山天皇の御代以前には緑野郡常岡郷といい、藤岡発祥の地と云われています。
近くには、かつて前方後円墳(K-5号墳)もあり、神社の旧社殿建設のおりには、鎌倉期の十数枚の板碑が発見されました。
当神社の創建は、鎌倉時代の文応元年(1260)以前といわれ今から七百五十年前に「倉稲魂命」を奉斎し、地域の鎮守、産土神として稲荷神社を勧請したと云われています。
室町時代の永正年間(1504~1521)には、正一位の位記と祭神の木像一体を京都の吉田家より授けられ、江戸時代には修験の「大善院山之坊」が永らく、神社に奉仕していました。
明治四十一年(1908)十二月十一日国の指令により、愛宕神社(南山)、菅原神社(北山)の二社を合祀し、氏子区域の名を採って山崎神社と改称しました。
また、古くから「稲荷流」の獅子舞が伝わり十月の秋季大祭には、子供獅子、大人獅子が勇壮に舞われ、神社その他に奉納されています。
境内には末社として、古峰神社(日本武尊)八坂神社(須佐之男命)の二社が祀られています。
旧社殿は、大正十二年(1923)建設のため老朽化したので、平成十六年(2004)十月に御手洗舎を含め社殿を全面改築し、あわせて周辺を整備しました。
(境内案内板より)梅雨空の悪天候だったのですが、神社南側にある運動公園のような所で体育大会が催されていたようで、応援合戦のような掛け声が聞こえていました。
また、野球のユニフォームを着た男の子たちがランニングしながら元気に挨拶して走って行きます。
参道入口は社殿の南東、運動公園の北端のほうに位置しています。
周辺整備の後のためか、鎮守杜と言うほど樹木はありません。
二の鳥居の先の平らな部分に「手水舎」と「天明飢饉供養塔」があります。
見たところかなり古い石質で、天明の大飢饉(1782~1788)を乗り越えた住民たちの建てた大事な供養塔を現在も保存し続けているのだろうと思います。
二の鳥居から更に石段を登り、狛犬さんの守る社殿の右側に少し離れて「天王様」と刻まれた石柱と小さな木製の祠があります。
天王様が牛頭天王であれば、神仏習合で素戔嗚命と同一視された神様なので、現在の「八坂神社」ということになります。
また社殿の左後方には「古峰神社」の小さな社があります。
あと目を引いたのは、神社から少しだけ離れますが、境内の左側のS字に走る車道脇に「平成の道祖神」が祀られていました。
平成の道祖神この双体道祖神は、当地域の繁栄と幸福を願って建立したものです。
「しだれ桜と野仏の里」づくりのため「藤岡市魅力ある地域づくり活動」の援助を得て、会員が手づくりで制作し色付けは小学生が担当しました。
のどかな風情と気分をあじわっていただければ倖いです。
(現地案内板より)
由緒書きにあるように近年全面再築されたので新しい感じで、古い苔生した雰囲気がお好きな方には物足りないかもです。
改築前にも何度も訪れていますが、かつての名残は社の裏側に並べられた鬼瓦で感じることは出来ると思いますよ。
社の両脇に末社があります。
名前 |
山崎神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.7 |
周辺のオススメ
![](./loading.gif)
最初の鳥居から参道を登った。
眼下に市内が見渡せてとても風格がある。