高山御厨(たかやまのみくりや)の北の中心地でした。
800年程前に 「源 頼朝 公」の発願により創建された古社です拝殿額ー神明宮由緒ー『祭神 大日孁命(天照大神)本宮は 鎌倉時代初期の建久三年九月十七日(1192年)右大将 源頼朝公の発願により 碓氷郡磯部領主佐々木三郎成綱が命を受けて伊勢神宮を勧請し創建された.............祭事としては、春季例祭が例年四月七日に太々神楽奉納され、秋季例祭として例年十月十七日に獅子舞奉納されます』
サイクリング中に訪れました。
休憩にはちょうどよいです。
その昔、ここ中栗須の神明宮は、高山御厨(たかやまのみくりや)の北の中心地でした。
高山御厨は、源義朝の父、為義が伊勢神宮に寄進した荘園であるといい、御厨の司(長官)は、秩父平氏の高山党、小林党でした。
この御厨(ミクリヤ)という言葉から「栗須」という地名が生まれたとも言われているそうです。
この高山党、小林党は私のご先祖様かも知れず、何となく親近感を感じます。
そういえば、私は秩父が好きで、以前は休日のたびに出かけていました。
あまり関係ないかな…(^_^;)
昔から続く仕来たりを現在も忠実に引き継ぎ、神事を大切にしています。
御祭神 大日孁命(天照大神)配祀神 建御名方神末社十九社国造社 高木神社 造化神社 六神社 風宮 雨神社 産泰神社 榛名神社 疱瘡神社 八坂神社 八幡宮 蠶神社 稲荷神社 阿夫利神社 武尊社 石神社 荒御前神社 奥玉神社 東屋神社(明治神社誌料)由緒本宮は建久三年(1192)九月十七日右大将源頼朝公の発願により碓氷郡磯部領主佐々木三郎盛綱が命を受けて勧請し創建されました。
天正十年(1582)小田原の北条氏と厩橋の滝川一益との神流川合戦に於て兵火にかかり社頭が炎上しました。
その後三年を経て天正十三年(1585)七ヶ郷(中栗須・上栗須・下栗須・岡之郷・立石・森・中)の氏子達の力により社殿が再建されました。
明治四年(1871)第十五大区の郷社とされました。
明治十三年(1880)九ヶ郷(中栗須・上栗須・下栗須・岡之郷・立石・森・中・上戸塚・下戸塚)の氏子により広く寄付金が募られ拝殿が建築されました。
昭和二十九年(1954)瓦葺に修復され現在に至っています。
祭事春季例祭 四月 太々神楽奉納秋季例祭 十月 獅子舞奉納(拝殿由緒書より)「神流川合戦」安土桃山時代初頭の天正十年(1582)、織田信長が「本能寺の変」によって敗死した後、織田方で厩橋の滝川一益と小田原の北条氏直・北条氏邦が武蔵国(現 埼玉県)児玉郡上里町周辺で争った「神流川合戦」に於て兵火にかかり社頭が炎上しました。
この戦いは戦国時代を通じて関東地方で最も大きな野戦とも言われています。
藤岡市指定天然記念物「サザンカの巨木」神明宮の西北、枝ばり東西9.2m、南北8.8m、胸高周囲1.5m、根回り1.6m、樹齢は推定400年です。
ハルサザンカに近い品種と推定されています。
古品種の「飛竜」かもしれません。
12月が見頃です。
(ブログ「楽老」より)
御祭神は天照大神です。
創建は古く1192年で源頼朝公の発願によって、磯部領主佐々木三郎成綱が命を受けて伊勢神宮を勧請して創建された。
境内には神楽殿があり、春の例祭が行われる4月7日に神楽が奉納される。
藤岡市中栗須〔神明宮〕本殿裏に芭蕉句碑が建っている。
むすふよりはや歯にひゝく清水かな はせを翁 現在は水は枯れているが、元々池があったところらしい。
明治2年(1869)に建立された。
歴史は古く由緒ある神社、拝殿は大きいです一の鳥居には「諏訪大明神」とあるが二の鳥居には名は無い神楽殿から拝殿前にかけて緑のネットがあり景観を壊していて残念な感じ。
名前 |
神明宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0274-22-0414 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
旧郷社。
主祭神:大日孁命(おおひるめのみこと、天照大神)。
創建:後鳥羽天皇建久三年(1192年)(社伝)。
旧郷社ですから、近隣の集落を代表する鎮守として、数多の神々も合祀されているようです。
社伝によると、後鳥羽天皇建久三年、源頼朝が発願し、佐々木三郎成綱(碓氷郡磯部領主)に命じて伊勢神宮を勧請し創建された古社。
後の北条滝川の戦で兵火にかかり焼失したが正親天皇天正十八年、七ヶ郷(中栗須・上栗須・ 下栗須・岡之郷・立石・森・中)の氏子により再建された、とあります。
神明宮ですから、一の鳥居と二の鳥居が神明鳥居ですが、一と二の鳥居の途中小さな堀川と神橋があり、その先に明神鳥居があり、扁額に諏訪大明神とありました(配祀:建御名方神)。
交通量の多い県道23号藤岡本庄線の脇にあり、車の停めるところを心配していましたが、一の鳥居脇の小道から車も入って行け、一の鳥居と二の鳥居の区間に結構駐車できるところがありました。
二の鳥居から境内も広く拝殿のすぐ脇には神楽殿があります。
また、社殿裏も広く、裏へ抜ける参道もありました。