藤岡市 小野地区にある小さな神社です。
JR八高線・北藤岡駅に近い住宅地の一角にある神社。
社殿や社務所を兼ねる公民館が装いも新たで、地元住民の方(氏子中)が大事にしている神社だと思われます。
保食神(うけもちのかみ)を御祭神とする飯玉神社が、この地域でどうやって鎮守になっていったのかその創建は不詳ですが、地域住民の文化交流と言う強いバックボーンを得て(公民館と言う拠点)、神社全体が保全維持されてきたのでしょう。
公民館を併設し、地域活動が維持されている神社にはご神徳だけでなく、地域の民力を感じます。
藤岡市森地区に鎮座することから、森飯玉神社と呼ばれているようです。
イマイチというか、ここは地元民しか来ない小さな神社です。
烏川が氾濫して野原ができ、その少し高い場所に集落ができました。
そして集落の中心として祭られたのが、この社であるということです。
こちらの地名は藤岡市森となっています。
土地が盛り上がったところを「モリ」といい、そこに木が生い茂って「森」になり、神社を祭ると「杜」となるのだとか。
モリには三つの意味があるのだそうですよ(^_^ゞ
獅子舞で横笛吹いていたのが思い出。
大きい木には鳥の巣があって癒し。
桜の木をきってしまったのが残念。
綺麗な神社です。
御祭神 倉稲魂神 菅原道真公 素戔嗚命 大穴牟遅命 建御名方神 大日孁命由緒・沿革神道は天地悠久の大道であって崇高なる精神を培い太平を開く基である。
当社は明和二年(1765)八月、京都神祇管領長卜部家より許可を得て、村社正一位飯玉大明神と号したに創まる。
星霜は移ろい明治四十二年(1909)十二月、政府の合祀政策により、村社飯玉神社の境内末社三社の他に森郷内に鎮座された無格社茂木神社の祭神二社、同郷無格社神明宮一社を合併し、二座以上あるものは合霊の上、六柱を以て現飯玉神社の祭神とした。
由緒は、中御門天皇の御宇正徳三年(1713)三月、時に塚越大和守藤原正屋が正一位飯玉大明神を奉祭し、裁許状を下賜されたことに遡る。
正屋の厳父塚越正重は神位を尊重し、桃園天王の御宇寛延二年(1749)十二月、産子と相計り新宮を造営した。
爾来、孝明天皇の御宇文久三年(1863)十月に本殿、幣殿、拝殿を改築し、大正六年(1917)に到り氏子五十八戸、崇敬者十三人の寄進を得て社殿の補修整備を行い、今日まで護持されてきた。
今般、社殿の老朽するに当たり、氏子崇敬者はここに真意を披瀝し神殿の造営と神域の整美を行い、神の恵みと祖先の恩とに感謝を捧げ国家の隆昌と郷土の繁栄と世界の平和とを祈念するものである。
ここに永久の記念と刻す。
(飯玉神社改築記念碑より)稲荷流森獅子舞森地区には約260年前(宝暦年間頃)から伝わっている「森の獅子舞」があります。
毎年、春の飯玉神社の例大祭には、県内外からも大勢の人が詰めかけ、特徴のある勇壮でダイナミックな舞と澄んだ篠笛の音に酔いしれます。
今後も、保存会を中心に、区、神社、子供育成会が協力し合って伝統ある獅子舞を守りながら、大勢の子供達に舞を伝授して参りたいと思っております。
(サイト「ウィズのページ」より)
比較的最近建てられたのは社も鳥居も綺麗です駐車スペースあります。
名前 |
飯玉神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0274-42-3571 |
住所 |
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評価 |
3.6 |
藤岡市 小野地区にある小さな神社です。
八高線の本数が少ないので事前に時刻表を要確認ですが、北藤岡駅からも近いので、電車でもアクセス可能です。
綺麗に清掃も行き届いています。