南八幡地域の根小屋町に位置します。
南八幡地域の根小屋町に位置します。
公民館も隣接しています。
御祭神 猿田彦命高崎市根小屋町(第1区)に鎮座する白髭神社は、祭神猿田彦命。
社務所は町内公民館となり、境内の新墾碑(駒井真蔭)は有名です。
白髭神社は、東京墨田区寺島一丁目の白髭神社と関係があり、神社の社伝によれば、天暦五年(951)に近江国滋賀郡打下村から勧進祭祀したといわれ、本社は比良明神といい、祭神は猿田彦です。
武蔵国にも古代朝鮮からの渡来人が多く、それらの人々によって祀られたものに高麗神社があり、この祭神である「王若文」を「白髭さま」として祀ったものです。
猿田彦を祭神とした神社は多いですが、白髭神社としては、武蔵の高麗神社。
近江の白髭神社がその総本社で、その分社は九州から北海道までひろがっており、判明しているものでも150社ほどあります。
ここの根小屋の境内に末社として、白髭神社の秩父の三峯社の仮宮もあり秩父との関係も考えられます。
明治以前の根小屋の水田は七沢の水に頼る以外にありませんでしたが、年々沢が荒れて被害が大きくなるのを憂いた根小屋住人の駒井真蔭(まかげ)や吉田和蔵などが、明治三年(1870)に高崎藩から地域開発の許可を得て、石原堰からの水路を開削する難事業を完成し、良田五十町を新たに開拓し地域の恩人として仰がれました。
その時の業績をたたえた頌徳碑が白髭神社境内に建つ「新墾碑」(しんこんひ)で明治二十九年に建立されました。
根小屋は中世は木部に属しており、木部新田といわれた所で、寺尾境までが木部分であり、寺尾境の所を木部境と呼びました。
木部氏が盛んであった戦国時代には、その所領であったと思われます。
木部新田といわれても、根小屋の水田は沢の水に頼る以外になく、水稲に必要な水量を得ることができず、そこで根小屋の住人であった駒井真蔭や吉田和蔵などが碓氷川の水を引いた石原の堰から分水し、水路を開削して根小屋まで引いたのです。
その時の碑が「新墾廼碑」で明治二十九年に建立しています。
(「高崎漫歩」P296)より駒井真蔭頌徳碑根小屋駒井源六の二男通称嘉兵衛。
文政六年(1824)出生。
橘守部に国学を学んで聞こえ高く、念流累代中の名人と仰がれる樋口定伊と親交がありました。
根小屋七沢が年々荒れて被害の大きいのを憂い明治三年高崎藩に願い出て地域開発の許可を得、有志吉田、清水らと産を投じて難事業を完遂しました。
良田五十町を新しく開拓し地域の恩人と仰がれ、白髭神社境内に頌徳碑が建てられました。
明治三十六年、81歳没。
名前 |
白髭神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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桜がキレイでした。